留学レポート 肌で感じ学ぶ
ドイツ語が全く理解できない上に日本の家族も友達もいない地で、何も出来ない自分に無力感を感じ、「自分とは何なのか。今まで日本で何をして来たのか」と深く考え、悩んだ時期もありました。
ドイツ語が全く理解できない上に日本の家族も友達もいない地で、何も出来ない自分に無力感を感じ、「自分とは何なのか。今まで日本で何をして来たのか」と深く考え、悩んだ時期もありました。
おいしいって片言なりに伝えたり、何回もおかわりをしたりするとホストペアレンツは本当に嬉しそうにします。ホストファミリー(以下HFと記載)と一緒に食事をしていくうちに距離がだんだんと縮まった気がします。
ある日突然異国の地から渡ってきた私を姉として受け入れてくれたホストシスター、そして私を実の娘のように愛して全面的にサポートしてくれたホストペアレンツには、いくら感謝しても足りません。彼らを私の「家族」と呼べることを、何よりも誇りに思います。
ホストファミリーもとても優しくオーストラリアのことや英語をおしえてくれます。私は最初家族の距離がとても近いことに驚きました。 いとこがあそびにきたり泊まりにくることはよくあります。おじいちゃんは毎週一緒に夜ご飯をたべにきます。
渡航前に想像していたきらびやかな毎日などという幻想はこちらに来てすぐに崩れた。留学は実生活であり、過酷なのだ。それでもこの選択を悔いたことは一度もない。15歳で親元を離れ新しい環境で一年を過ごすことは、幾重にも成長する絶好の機会である。
他の国からドイツに来た留学生と関わっていく中で、行動力の高さやコミュニケーション能力の高い彼らから多くの影響を受けています。そして世界は広く様々な人がいるということを改めて実感しています。
最後の4か月で、特に思い出に残っているのは、オーストラリア全体から世界中の留学生が集まり、共に過ごしたウェスタンオーストラリアでの12日間です。 旅行中の総移動距離は6000km超という、とてもオーストラリアらしい旅でした。
出発前と同じ僕ではない、成長した自分がいる。そして、僕の留学は、まだ続いている。この留学で僕は宝を見つけた。人生の宝だと断言出来る。AFSの交換留学は、そういうものだと思う。
帰国前に、イタリアやタイ、レバノン、アルゼンチン、パキスタン…あらゆる国から来た留学生たちと星空の下で語り合ったことがあった。 誰かが言った。 「世界中の全ての人が留学できたら、きっと戦争なんて無くなる」