私は色んな先輩方の留学報告レポートを見るのが好きでいつも読む側だったので自分が今それを書く側になっていることに驚いているし不思議な感じがするけど、この機会を大切にしっかりと書き上げていきたいと思う。
私はいまだに自分のこの留学生活がもう折り返し地点を過ぎていることが信じられない。半年という時間は長いようで短く、まるで一瞬のように過ぎ去ってしまった。写真フォルダを見返しながらこの半年間を振り返っていきたいと思う。
まず最初の1ヶ月間は何もかもが新鮮で日々が新発見に溢れていた。ホストファミリーに連れられ、ナイアガラの滝の壮大な景色に息を呑み、サマーフェスの喧騒に心を躍らせた。フットボールや野球の試合では、観客の熱狂に巻き込まれ、まるでアメリカ映画のワンシーンの中にいるようだった。毎日が驚きと感動の連続で、ホームシックに浸る暇などなかった。
むしろ、これほどまでに刺激的な日々を送れることに、私は『当たりくじ』を引いたのではないかと思ったほどだ。ホストファミリーは温かく、私の拙い英語をも理解しようとしてくれて、本当の家族のような安心感を与えてくれた。

しかし、9月になると状況は一変した。日本では学校が始まり、友達たちが再会の喜びを味わう姿を異国から見守らなければならなかった。クラスで空っぽになった私の席を思い浮かべると、胸が締めつけられるような寂しさを感じた。体育祭や文化祭を楽しむ友達の姿を見るのもしんどかった。
さらに、アメリカの学校に溶け込むことも想像以上に困難だった。クラスという単位がないため、いつも一緒にいる友達を作るのが難しく、意外にも誰も自分から話しかけてくれなかった。友達作りには苦労し、精神的に落ち込む日々が続いた。幸い、私はフィールドホッケーのクラブに入ったことで、数人の友達を得ることができたが、それでも理想と現実のギャップに苦しみ、たくさん思い悩んだ。これからここであと9ヶ月も過ごすのかと思うと、頭の後頭部がズンズンするような感覚に襲われた。
さらに、自分の英語力の未熟さにも悩まされた。授業はあまり理解できず、友達ともうまくジョークを交わせず、硬い会話ばかりになってしまう。そんな自分に自信をなくし、焦燥感ばかりが募る日々だった。

その一方で楽しい出来事もたくさんあった。ホームカミングでは華やかな雰囲気の中で友達と踊り、AFS支部とのワシントンDC旅行では歴史的な街並みに触れ、政治の中心地を訪れたくさんの刺激を受けた。そして、ハロウィーンパーティでは思い思いの仮装を楽しみ、異文化のイベントを存分に味わった。アメリカの一大行事であるThanksgivingでは、家族のありがたみを改めて実感した。ホストファミリーとともに過ごし、感謝の気持ちを分かち合う時間は、とても温かく幸せなものだった。自分も家族の一員として迎えられている感覚がした。

12月になると街全体がクリスマスムードに包まれ、いよいよ2024年も終わるのかと実感した。新たにスキー部に入り、新しい友達とも巡り会うことができた。こちらのクリスマスは本当に本格的で、日本とは全く違うと感じた。クリスマスツリーを自分たちで選び、切り、持ち帰ってデコレーションをするという一連の過程が新鮮で楽しかった。そして何より、山のように積まれたプレゼントがアメリカらしさ全開だった。
年越しは他の留学生を家に招き、カウントダウンパーティを開いた。また、ダウンタウンでボールドロップも見ることができ、特別な感じで新年を迎えた。

そして気づけばもう2月で、留学生活の半分が終わっていた。驚くほど早い。学校にも完全に慣れ、時にはジョークも言えるようになり、言いたいことも前より表現できるようになった。一方で、英語力の未熟さを実感する場面にも多く直面するのが現実だ。残りの4ヶ月はさらに時間が早く感じると皆が言うので、きっとそうなのだろう。
私の留学の二大目標は「異文化を知ること」と「英語力を伸ばすこと」。前者は完全に達成したと感じるが、後者はまだまだ。今のままでは帰国できないという思いが強くある。この半年で確実に成長はしたが、まだ足りないと思うこともある。残された時間を最大限有意義に過ごすことこそ、今の私にできる唯一のことだ。
こうして振り返ると、この半年間はただの留学生活ではなく、まるで一本の映画のように濃密な時間だった。あと半年弱、どんな物語が待っているのか。次のページをめくるのが、今から楽しみでならない。
そして、この半年を無事に歩んでこられたのも、家族や友達、先生、周りの大勢の人々に支えられてきたからこそ。日頃から感謝を伝えているつもりだが、どれほど感謝してもしきれない。
三菱商事高校生海外留学奨学金 奨学生
2024年・71期 アメリカ派遣 S.J.さん
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