滞在先について
私は1999年4月から2000年2月までタイに留学しました。
滞在先は最北部の県・チェンライ。首都バンコクから約780km、飛行機で約1時間20分の距離にあります。数多くの遺跡があり、歴史ある美しい街です。ミャンマーやラオスと国境を接していたことから欧米からの観光客も多く、学校にはインド系、マレー系、華僑(中国からの移民やその子孫)もいました。山岳少数民族の村にも遊びに行きました。
私が通っていた学校は中学校と高校が併設された公立学校で一日授業が8時限あり、朝8時から16時まで学校で過ごしました。中学校は女子校、高校は共学なのですが、男子生徒はわずか10名ほどでした。
英語、体育、道徳は高校2年のクラスメイトと学び、伝統舞踏のタイダンスや伝統楽器、バティック(ろうけつ染め)、フルーツカービング(果物や野菜に美しい彫刻を施す)、タイ料理といった実技科目は学年を超えて、中学1年から高校3年生までの生徒と学びました。
タイ語は英語の先生とマンツーマンの授業でした。体育祭、文化祭、遠足といった課外授業も充実していてとても楽しい学校生活でした。
また学期休みの間に参加した世界各地からのAFS留学生との研修キャンプも楽しい思い出の一つです。
留学体験から得たもの
タイに到着して数日後、英語がまったく喋れないホストマザーとコミュニケーションがとりたくて、つたないタイ語で「お腹が空いた」と言ったところ、急にお母さんの機嫌が悪くなってしまいました。
食べ物の話は挨拶代わりによく使うと聞いていたので、私は事情が解せませんでした。ホストシスターに尋ねたところ、部屋に高名な僧侶を描いた肖像画が掲げてあり、厳しい修行をしている僧侶の前でそんなことを言うのは、はしたないということでした。
円滑なコミュニケーションをとるには思い込みを排除して、相手の意見や考え方を理解する必要性を学びました。
また、笑顔は相手とのコミュニケーションを容易にするだけでなく、自分に余裕をもたらすということもタイで学んだことの一つです。つまり「笑顔は幸せになるための手段であって、結果ではない」ということです。
帰国後から現在まで
留学前から“地方自治”“文化”“福祉”に関心を持っていましたが、タイから帰国後は「幸せや豊かさって、何だろう?」と強く考えるようになりました。そして、「豊かさは、金銭的なものだけじゃなくて、文化や教育がもたらすのではないか、自分も何かできることはないだろうか」と思うようになりました。
また、国際関係のことや地域の文化、地誌、語学に興味を持ったので、大学では文化人類学、地方自治、社会政策や文化政策について学びました。
卒業後は美術画廊に就職しました。そこでは、営業・広報・個展の企画といった業務を行っていましたが、次第に文化教育の分野で地域や人の活性化に関わる仕事がしたいという想いが増していきました。そこで結婚を機に公共図書館の運営受託会社に転職しました。
図書館に関わるというと、「本好き」というイメージがあるかもしれませんが、他者とのコミュニケーションや何かを知りたいという好奇心・向上心が何より大事ではないかと現場での仕事経験から感じています。図書館は公共の場所なので、幅広い年齢層、立場の利用者がいらっしゃいます。正義や真実は、その人の経験や価値観によって変わってくるので、多種多様な方の視点に立って、いろいろな意見を理解するように努めなくてはなりません。この姿勢は留学体験で得られたと思っています。
また、「ほほえみの国」タイで身につけたタイスマイルは様々なチャンスを私にもたらしてくれました。プライベートでは、チェンライの山岳少数民族の子どもたちの進学をサポートするNGO「さくらプロジェクト」にボランティアとして携わっています。日本のサポーター向けに書かれた子どもたちのタイ語の手紙を日本語に翻訳しています。私が在籍していたホストスクールに通学する生徒もいるそうです。近いうちに後輩達に会って、学ぶ楽しさや将来の夢を語りあえたらいいなと思っています。
タイでの留学生活から得たものは、20年近く経った現在でも私の仕事と人生を大きく支えています。
46期(1999‐2000)タイ派遣/遠藤ひとみ
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