日本にいても、毎日学校に行って部活して食べて寝る、この繰り返しで面白くない、飛び出したい、と思ったことが留学を決めた大きな要因である。
日本での認知度が低くご飯のおいしい国に行きたかった私は、それだけの理由でハンガリーを留学先に選んだ。
ハンガリーは私の期待を最初から裏切らなかった。田舎で平和にぬくぬくと育った私は首都ブダペストに派遣され、毎日が刺激にあふれていた。
そして滞在一か月目、留学生活中最も衝撃的なことが起こった。
ある日地下鉄の構内に入ると、そこには山のようなテントが張られていたのだ。
テントの主は、シリア難民たちであった。その頃中東ではISILが勢力を増し、大量の難民が発生。ドイツが80万人の難民の受け入れを決定したため、難民たちは様々なルートでドイツを目指した。そのルートの一つにハンガリーを通るものがあった。
彼らに出会った、というのは画面越しの話ではない。人生で初めて、平和ではない社会を実感した瞬間だった。
私は彼らのために何かしたいと思ったが、私にはそれをできるだけの責任も知識も金もなかった。私はそこで何もできなかったことが悔しくて、もどかしくて、いつか彼らの助けになることがしたいと思うようになった。
彼らと遭遇し、彼らのことや自分のこと、世界のことを考える時期を経て、私は自分が何者であるのか、自分は何をしていきたいのか、ということが見えてきた気がする。
現在私は、被災・紛争地域の復興支援や発展途上国の開発支援を仕事にすること夢見て勉強中だ。
「多様性」という言葉を実感したのもこの留学中ではないかと思う。世界は本当に広くて、様々な考えを持った人がいる。高校生であっても、国や文化、考え方などの違いによって多様な会話が生まれる。
留学生との会話の中で、とても印象的なものがあった。イタリア男子、ベルギー男子、トルコ女子と私の4人で夜、暗闇の中話していた時のことである。
話題は「第3次世界大戦は起こるかどうか」というものであった。そもそも私は日本でこういった話題については父親としかしたことがなかったので、高校生の間でこんな話をすることになろうとは想像もしていなかった。
私たちの結論は起こるだろうということであったが、皆が独自の視点で世界を見て、真剣に語り合っていた。それが私には刺激的で、これだけで、留学来てよかった!と心から思ったほどである。
また、留学は人のつながりを生む。第二の家族と呼べるホストファミリー、世界中からの留学生、現地の高校の同級生、AFSのボランティアたち、…本当に多くの人とのつながりを持つことができた。
私のホストファミリーは忙しい家族だったが、誕生日や行事の時には親戚で集まって豪華なランチを楽しんだり、一緒に山に登りに行ったりして、仲を深めることができた。
ホストマザーは私が毎日書いていたハンガリー語の作文や手紙を添削してくれたので、私のハンガリー語の上達はとても早かった。3か月目にはもう英語は一切使わないと宣言し、それ以降家でも学校でもハンガリー語だけで生活をしたので、英語を忘れてしまったほどだ。
帰国後1年たって夏休みに日本の家族を連れてハンガリーへ帰った時には、二つの家族が一緒に食事を楽しんだ。今でもメールを書いたり、Skypeで話したりしている。
また、派遣先のブダペスト支部は23人の留学生を抱える大所帯で、毎月の支部会や支部行事、毎週のハンガリー語教室、放課後や休日など、頻繁に集まって本当に仲が良かった。
特に仲の良かった留学生たちとは、お互いの国をいつか訪れることを約束している。
私にとってハンガリーでの一年間は、あまりに濃いものだった。日本に帰ってからも、体に刷り込まれた経験を本当に自分のものにするまでにはずいぶん時間がかかったと思う。
だが、今なら私は、「留学での一番の収穫は物事を多角的に捉えられるようになったことだ」と胸を張って言うことができる。日本に帰ってきて、勉強と部活に明け暮れる毎日に戻っても、その中に自分から楽しみや刺激を見つけられるようになった。
留学がどういったものになるか、というのはその人の運と努力と捉え方次第である。それをどう生かしていけるか、というのもその人次第である。
しかし、物事は自分で始めなければ始まらないのだ。少しでも興味があるならば、ぜひ勇気を持って飛び出してほしい。
62期(2015-2016)ハンガリー派遣 / 石橋澄子
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