私が派遣されたのは人口1500人の小さな村。庭にロバが1頭、隣の家は1km先、その間にはトウモロコシや大豆畑が広がる地域でした。
電車・バスが整備された都会で生まれ育った私には、町行く人がどの家の誰の子供なのかが分かり、お互いに挨拶を交わす小さな村に住めたこと自体が異文化でした。
私は留学する以前に、テレビで見た途上国の映像に衝撃を受けたことがあり、世界で働くことを夢見ていました。また、好きだった英語を学びたい気持ちがあって、アメリカへの留学を決めました。
アメリカでの1年を通して、他人と比較せず自分のペースで、自分のできることを頑張る力が身に付きました。
渡米した当時、私の高校レベルの英語力では、日常会話をすることも英語だらけの教科書で授業についていくことも困難でした。また、同じ高校にはヨーロッパからAFS留学生が通っており、彼女たちは英語が堪能で友達作りも早く、焦りを感じました。
アメリカ人たちにHiと挨拶しても、続く会話が見つからない。そんな中、私はまず自分にできることから取り組もうと思い、日本でも所属していた吹奏楽クラブに入り、言葉を介さずみんなで協力して演奏していく過程で友達作りをしていきました。
吹奏楽部は他の運動部の応援演奏も行っていたので、泊まりがけの遠征に付き添うこともあり、現地の高校生たちと親密になれたことで、英語力も上達し、毎日が楽しくなりました。言葉も通じない外国の地で周囲に助けられながら1年過ごせたことが自信に繋がりました。
アメリカの友人達と将来について語った事も良い刺激になりました。
私自身、英語で生活することが当たり前になると、英語を学び続けることよりも、英語を使ってどんな仕事をしたいか考えるようになりました。
日本とアメリカの生活習慣の違いで特に驚いたのは食文化でした。アメリカの食事は糖分や脂質が多く、私は1年で8kg増加しました。
アメリカ人の健康・栄養についての問題は社会問題にもなっていて、健康に生きるということに対して興味が沸き、農学部の食品栄養を学ぶ進路を選びました。
食品栄養について学ぶ中、気づくと関心対象がアメリカではなく栄養不足に悩む途上国に変わっていきました。卒業時には、留学前に思い描いていた途上国や世界で働く道へ進もうと、青年海外協力隊に応募し、アフリカで2年を過ごしました。
日本の企業で働き始めたのは、同級生たちから5年ほど遅れましたが、自分のペースで自分のできることに取り組めていて毎日充実しています。
限りある人生を経験豊かに過ごせているのは高校時代に日本の生活から一歩踏み出したAFS留学があったからだと思っています。
-2004-2005年 51期USA 吉岡あずみ
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