月日の経つのは早いものでAFSで1年間アメリカのウイスコンシン州に留学してから今年で32年目となる。
遠い記憶を手繰り寄せると高校一年生の自分がいる。
当時何かの雑誌でAFS交換留学生の募集要項を目にし、即座に応募した。応募に際しては特に両親から反対された覚えはない。
幸いなことに筆記試験・面接試験を通過し高校2年生の夏、アメリカ、ウイスコンシン州のミルウォーキー郊外にあるサウスミルウォーキーに一年間AFS留学生として滞在した。
高校2年生だった私は今まで親元を離れて生活した経験もなく、ある程度自信のあった英語が全く通用せず最初の3~4か月は苦労の連続であった。また残念なことに最初のホストマザーが癌になってしまい、11月にはホストチェンジをすることになった。
当時、毎日日記をつけていたが、最近になって日記を読み返すと11月頃まではつらい日々が多かったことが伺える。しかし12月に入ると打って変わって英語にも自信がつき、学校生活や環境にも慣れ日記に書いてある内容が明るくなっていく。
救いとなったのは幼少の頃よりバイオリンを習っていたため、アメリカの高校ではオーケストラの授業を取っていたことだ。同じオーケストラでバイオリンを弾いていた女の子とはベストフレンドとなり、彼女の友達ともまた仲良くなりランチタイムは彼女らと同じテーブルに座り色々な話をした。
後に私が日本の大学に進学し、大学2年生の時に所属していた管弦楽団がアメリカで演奏旅行をした際にウイスコンシン州を訪ね、この2人に再会することが出来た。
前半は何かと苦労したことも多かったが、後半は環境にもすっかり溶け込んで楽しい思い出が沢山ある。
私が留学していた高校にはもう一人ブラジルからのAFS留学生がいた。ラテン気質の底抜けに明るい彼女とは気が合い、とても仲良くなった。
その他、AFS留学生ではなかったが私費留学をしていたもう一人のブラジル人女子高生、そしてメキシコ人の女子高生とも仲良くなった。またよくこの4人組で遊んでいたことも今となっては懐かしい思い出の一つである。
AFS留学中には実に沢山の人との出会いがあり、この出会いが後の私の人生において貴重な経験となった。AFSでの経験が私に与えた影響は計り知れない。
若い時に異文化に触れ、多様な人種と交流することにより自分と価値観の違う人と出会っても偏見を持たず柔軟に対応することが出来るようになった。また、困難に直面してもポジティブに、そして客観的に物事を見ることが出来るようにもなった。
AFS留学から帰国して日本の大学に進学したが、大学3年生の時に大学の交換留学制度を利用し、アメリカのオレゴン大学に1年間留学した。
大学卒業後は日本で3年半ほど働いていたが、ある志を胸に今度はアメリカ、ニューヨーク州にあるコーネル大学大学院に2年間留学した。修士課程修了後、1年半ほどニューヨークで勤務していたが同じ大学院で知り合ったメキシコからの留学生と結婚した。
伴侶の就職先がテキサス州ダラス郊外となり、ニューヨークからテキサスに移り住み今年で20年目となる。その間娘と息子の2人の子供に恵まれ、その子供たちも高校3年生と中学2年生となった。伴侶がメキシコ人ということもあり、子供たちはアメリカ、メキシコ、日本という3つの文化の中で育っている。
今でもAFS留学の時のホストマザーとは交流があり、毎年クリスマスに家族写真入りのカードを送って子供たちの成長を報告している。
アメリカ生活が人生の半分近くになってしまったが、年齢とともに日本の良さも再発見している。
毎年1~2回ほど日本に里帰りしているが、その度に親や兄弟には頻繁に会えないという寂しさも感じている。
もしAFSで留学をしていなかったら今とは全く違う人生になっていたであろうが、私は自分の歩いてきた道に後悔はしていない。
最後にこれからAFS留学生となる皆さん、あるいはAFS留学制度に応募しようと考えている皆さんに一言。
外国で生活するということはつらいことも沢山あるが、それと同じくらい楽しいこともあり充実感を味わえるのではないかと思う。
若い今だからこそ、自分の可能性を信じて色々なことにぜひチャレンジしてもらいたい。
-32期 アメリカ派遣 / 藤井 篤子
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