成田空港に降り立った時、目に飛び込んできた漢字や「ようこそ」という日本語を見て、違和感を持ったと同時に「帰ってきたのだ」という漠然とした思いを抱いたのを覚えています。
僕は、この11ヵ月間、アメリカテキサス州のサンアントニオという都市に交換留学をしていました。アメリカ南部に位置するテキサス州は、ロデオやサボテン、カウボーイなどが有名で、僕が滞在していたサンアントニオは、古き良きメキシコ文化や西部開拓時代の雰囲気を持ち合わせた街です。
アメリカのベニスと呼ばれる「リバー・ウォーク」や、広大な丘陵地帯に存在する巨大な一枚岩「エンチャンテッド・ロック」などの観光名所を訪れたり、本当にたくさんのことを経験することができました。
学校では、サッカーを通してたくさんのつながりが築けたと思います。そして、友人関係から学ぶ考え方の違いもありました。
ある日、学校のお昼の休憩時間にメキシコやコロンビアから移住してきた友人とボールを使って遊んでいると、白人の警備員がやってきて、僕たちに”no mas”と言いました。スペイン語で、”no more”「もうやるな」という意味です。昼食を食べているほかの学生に迷惑がかかるという理由で、僕は納得したのですが、友人たちはその警備員の態度に人種差別を感じたそうです。
サンアントニオには、ヒスパニック系の人種がたくさん住んでいて、スペイン語で生活する人が多いのですが、肌の色の違いだけで「英語をうまく話せない人種」と決めつけられたことが、友人たちを不快にさせたのです。
この体験から、ほんのわずかな考え方や、シチュエーションの違いによる行動や態度で、相手に不快感を与えてしまう可能性があることを痛感し、同時に多民族国家アメリカの一面も知ることとなりました。
そして、彼らにはスペイン語の魅力をたくさん教えてもらいました。スペイン語は若干英語に似ていて、習得すればポルトガル語やフランス語にも通じると言われており、ぜひ身につけたいと思うようになりました。これは自分の新しい目標の一つになりました。
また、僕がアメリカに滞在している間に歴史的な出来事がありました。オバマ大統領の広島訪問はアメリカでも話題になり、僕の周りでも「広島訪問は平和への第一歩になった」とたくさんの人が考えていました。アメリカの報道を通して、アメリカの視点でこの出来事を捉えることができたのは、大変貴重な体験だったと思います。
一方、ヒロシマについてあまり知らない人もいたことには驚きましたが、広島出身ということで興味を持ってくれる人がいたことは、僕にヒロシマの発信をしていく使命があるということを、再認識させてくれました。
そして何より、僕のサンアントニオでの生活が充実していたものであったのは、ホスト・ファミリーの存在があったからです。
彼らはとても明るい人たちで、僕が学校で自分の意思や考えを伝えられずに落ち込んでいても、笑顔にさせてくれる本当にかけがえのない存在でした。友人の家まで車を出してくれたり、近所の人たちとパーティーをしてくれたり、おいしいお肉を焼いてくれたり、数え切れないほどの思い出を作ってくれました。
クリスマス休暇には、家に飾るもみの木を家族で選びに行き、デコレーションをしてクリスマスを祝福しました。
また長期休暇には、車でテキサスの観光名所をまわる「ロード・トリップ」を体験したり、ニューメキシコ州に住んでいるステップ・シスターの家族と共に過ごしたりしました。彼女には9歳と6歳のやんちゃな男の子がいて、彼らと過ごす時間はとても楽しいひと時でした。帰国前には、ホスト・シスターと二人でニューメキシコへ遊びに行きました。ホスト・ファミリーのブラザーやシスターとは特に仲が良く、三人でふざけてマザーをからかったり、近所のプールに遊びに行ったりしました。
ホスト・ファミリーとの別れの日には、たくさんの思い出が蘇ってきて、涙があふれて止まりませんでした。
“You are ours forever” その言葉通り、僕たちは本当の家族になれたと確信しています。ホスト・ファミリーやこの留学で得た友人たちは僕の宝物であり、これからも大切にしていきたいと思います。
今、僕は11ヵ月間の交換留学を終え、日本の環境に帰属しつつあります。忙しい日本の生活の中に埋もれていく感覚があり、それを思うとアメリカでの生活は、本当に夢のような貴重な経験だったと実感しています。
これからは留学で得たものを大切に、ただ日本人に戻るのではなく、テキサスで取り入れた新しい風を僕の中で融合させていきたいと思います。
そしてわが祖国である日本と、世界を常に同一視できるグローバル人間として、多様性を受け入れ、相互理解と寛容の精神を持ち、この交換留学に関わって下さったAFS、広島市、そして僕を快く送り出してくれた広島なぎさ高校、すべての方々に恩返しができるよう行動していくことを誓います。
これからの自分は、どのように人とつながり、どのように世界と共に生きていくのか、10年後、20年後が楽しみです。
AFS62期アメリカ派遣
広島市高校生交換留学奨学生 牧野 森
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