私は今、とてもタイの家族や友達、料理が恋しいです。
タイと言ってまず思い浮かぶのは、辛い料理と大きなマーケットだと思いますが、その通りです。はじめタイに行った頃は、辛い物もお肉もほぼ食べられなくて、3キロほど痩せてしまいました。しかし、だんだん慣れてきて、いろんな美味しい食べ物を知ったことで、自分でマーケットへ行ってほしいものを買ったり、ご飯を作ったりするようになりました。
それに、はじめの3か月間は本当に辛かったです。食事もですが、やはり言葉の壁が一番つらく、英語もタイ語も上手に話せなかったので、何を言ってるかもわからないし、言いたいことも全然伝わらなくて、話すことが怖くなってしまいました。
それでも、みんなは私や日本の文化に興味を持ち、一生懸命拙い英語や日本語、ジェスチャーで話しかけてくれたので、私もきちんと向き合うことを決め、徐々にタイ語を理解できるようになりました。これは本当に友達や先生のおかげで、感謝しきれません。
そのうえ、友達や先輩、後輩にもすごく恵まれました。
私のクラスは日本語教室で、とにかく、みんな日本語や日本の文化、お菓子などが大好きです。私の仲の良いグループのみんなは、日本の映画や音楽にも興味を持ってくれていて、私よりも日本の音楽に詳しい子がいます。
しかし、ここまでの友情を築くには、かなりの時間がかかりました。後から友達に聞いた話なのですが、学校が始まってから三か月ぐらいは少し物静かで、みんなは、私がタイのことをあまり好きではないのかと思っていたそうです。
それを聞いた時、私はどうして初めから友達と向き合わずに「勉強!勉強!」と、そればかり考えてしまっていたのだろうと、とても後悔しました。しかし、それに気づけたからこそ、今の関係やタイ語力があると思うので、前向きに考えようと思います。
そして、私は一度ホストチェンジを経験しました。一番初めに受け入れてくれた両親はすごく優しくて、今でも時々連絡を取り合っています。しかし、同い年の男の子と九歳の妹とは、どうしてもうまくコミュニケーションが取れず、四か月経ってから、ホストチェンジすることを決めました。
次に受け入れてくれた家族とは、あまり深い関係を気付くことはできませんでした。お父さん、お母さん、お姉ちゃん、弟の四人家族なのですが、お母さんと弟が元からあまり留学生に興味がなく、六か月居たのに、ほぼ話すことはありませんでした。
それを知っていたお父さんとお姉ちゃんが間に入り、私たちの仲を保たせてくれました。それに、お父さんはいろんな面で私の面倒を見てくれました。私にとって、とても大きな存在でした。
言葉の壁や性格の違い、文化の違いで、はじめは本当に苦労しました。一度は、日本の家族や友達に会いたい、と一人で泣いたこともありました。それでも、いま日本へ帰ってきて真っ先に思い浮かぶのは、友達や家族と笑ってバカ騒ぎしていた生活や、辛いけど、とてもコクがあっておいしいタイ料理の数々です。
今となっては、話したくても食べたくても、そう簡単にはいきません。だからこそ、絶対忘れることなく、一生私の人生の思い出として生きて行くんだなと思います。
私は友達と「日本かタイで、二年後絶対会おう。」と約束して帰ってきました。
この約束を果たすために、まずは目の前の受験を頑張り、恥のないかっこいい姿で、みんなに会いに行こうと思っています。
2016年4月 クンサナン奨学金奨学生
AFS62期 タイ派遣 / 栗田 理緒
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