私のアメリカでの10ヶ月に及ぶ留学生活は、留学前に私が想像したものとは良くも悪くも大きく違った。だかしかし理想通りものごとがとんとん拍子で進んでしまってはそれはそれでつまらないのではないだろうか。
留学1ヶ月目から3ヶ月目は英語もアメリカの社会のルールも全くわからず苦労する毎日だった。アメリカの信号機の見方すらわからなく、横断歩道をいつわたれば良いのかわからないほどだ。
6ヶ月目までは毎日が新しいことの連続でとても新鮮だった。だが人は自分の環境に慣れてしまうとその前ほど自分のおかれている環境に満足や感謝ができなくなる。
留学の半年がすぎた頃、毎日毎日同じことの繰り返しで少々自分に嫌気がさした。ただそのとき私はその環境を打開するために何かするということはなかった。そうして月日はただただすぎ4月を迎えた。
その頃私は今まで住んでいた地域をはなれそこから3時間程離れた田舎町に引っ越さなければならなくなった。何もかもが1からの始まり。ここでやりなおしという言葉は使いたくない。なぜならこれはやりなおしでもなんでもないからだ。昔の自分がいるから今の自分がいる。昔の経験があるからそこから学ぶことがたくさんあり、それらは次の自分を作っていくための材料になる。
そんなかんだで新しい家族、学校、地域と、私を取り巻く環境は大きく変わった。慣れた地域、仲の良かった友達との別れは想像以上に辛いものだった。当時はそれをとても恨んだが、その環境の変化のおかげで自分に残された時間の少なさやそれがいかに貴重なものかということに気づかされた。
試練や辛苦を乗り越えて初めて見えるもの、わかるものがある。それに気づいたとき私は自分自身に自信と誇りを持つことができた。残された時間を大切にしようと思い、新しい学校のスポーツチームに入り、積極的に人と触れ合う場に出向いた。
平日は毎日学校だった。学校は7時50分に始まる。だが日本のように朝にホームルームはないので、1時間目のチャイムがなったら各自のクラスに行く。私はだいたい7時30分ごろ学校に到着し、1時間目が始まるまでは図書室で友達と宿題をするかおしゃべりをしていた。
授業は1日4コマあり、1コマ1時間半だ。そして時間割はAとBと2種類あり、それが1日おきに繰り返される。例えば今日がAの時間割なら次の日はBの時間割だ。アメリカでは自分の好きなように時間割をカスタマイズすることができる。
もちろん各学年に必修科目はある。私の時間割は英語、美術、アメリカ史、ダンスの時間割Aと英語、海洋学、ROTC(軍隊のクラス)、幾何学の時間割Bだった。
私の英語のクラスは英語を第二言語とする生徒のためのクラスだった。毎日コンピューターで英語の問題を解いたり、先生や生徒と話したり、映画をみたりといっただいぶラフなクラスだった。今思えばそのクラスは簡単すぎたので、もう少しレベルの高いクラスに行けば良かったと思う。
美術のクラスでは主に絵を描いた。他には角度や立体、色鉛筆の使い方を学んだ。私は絵を描くことが好きだったのでこのクラスをとった。
アメリカ史のクラスは必須科目だった。アメリカ史は頭の中がはてなだらけだった。呪文。なかでも大変だったのは宿題とプレゼンテーションだった。宿題は2週間に1回のペースで、それぞれだいたい20問程の量だった。ただわからない単語のオンパレードだったので、1問につき1時間から2時間もの時間を費やした。宿題はなんとかなるけど、ただ時間が必要だった。
さらに大変だったのはプレゼンテーション。二人一組で行った。何が大変だったか、はじめのうちは私の英語力が低く、何をプレゼンするのかも理解できなかった。偶然にもこのクラスには親しい友達がいたので、彼がいつも助けてくれた。留学中はそんなちょっとした助けが私にとってはとても大きな助けだった。放課後にその友達と一緒に学校の近くのコーヒーショップやファストフード店でプレゼンの準備をした。
ダンスのクラスはただただ楽しかった。というのも、ダンスの先生の方針が楽しめなければダンスじゃないという感じだったので、流行の曲を鏡ばりになったクラスでガンガン流し、ひたすらhip-hop、またはバレエで柔軟をした。クラスメイトはもちろん踊ることが好きなので、共通の趣味があるため仲良くなるのは簡単だった。
アメリカには日本にないような珍しい授業がたくさんあるが、海洋学のクラスはアメリカの学校でもとても珍しいクラスだ。私の住んでいたMontereyという町は海があり、海洋学を学ぶのにとても適している。実際に学校から海まで歩いて、海水の調査などをした。
海洋学は私のお気に入りのクラスの一つだ。先生が大の日本通で話があったり、日本人の私にとってとてもおいしそうな単語をたくさん聞けたり。
ROTCもお気に入りのクラスだった。このクラスをとった理由は、当時のホストファミリーが海軍に勤めていたため勧められ、何のクラスなのかすらわからずとった。このクラスの多くの生徒の親が軍隊に努めているので、生徒の多くが誰に対しても優しく、向上心や忠誠心が強かった。授業の内容は主に海軍の仕組みについて学んだり、運動能力向上のためスポーツをしたり筋力トレーニングをした。そして毎週水曜日には海軍の制服を着用するのがルールだった。
幾何学のクラスでは実際に外に出て実験を行ったり、各単元ごとに小テストがあった。日本の数学のクラスに比べかなりゆるい印象だったが、単位が違ったり、式の表記の仕方が違ったりと、混乱することも多かった。
私はキークラブ(ボランティアをする)とグリーンクラブ(自然環境に優しいことをする)に所属していた。週末に海や学校でゴミ拾いをしたり、町のイベントでお手伝いをした。
放課後はだいたい宿題をするか、友達と学校の近くのダウンタウンで遊んだり、海に行った。金曜の夜や週末は友達やホストファミリーと映画を見たり、ボーリングをするなど、主に遊んでいた。遊びから学ぶことは多かった。新しいスラングを学んだり、アメリカの文化について学ぶ良い機会だった。
私は家で机に向かっての勉強はほぼ一切せず、ひたすら人と関わったり、暇さえあれば友達やホストファミリーと話すのを徹底した。留学で得たのは英語力だけではない。私にとっては人間的な成長がとても大きく感じた。いつもそばにいた日本の家族はいなく、自己管理の徹底と自分のことは自分でするので留学前よりもとても自立したと思う。今思えば、日本にいたとき私がどれだけ親に依存していたかが嫌なほどわかる。
ほかにも、人種のるつぼと言われるアメリカは本当に人種が多様だ。自分の当たり前が当たり前ではないので、文化の違いからの考え方のすれ違いも多かった。
日本では自己主張をおさえたり、奥ゆかしいことが美徳とされている。だがアメリカでそんなことをしようものなら、意見がないと思われたり、つまらない印象を与えることが多い。もともと自己主張が強かった私にとって、アメリカでその点はとても居心地がよかった。ただアメリカ人は良くも悪くも自己主張がとても強い。だがそのおかげで常に自分をもち、自分の意見に自信をもてるようになった。
そうして私の留学生活は終わりを告げた。何度も日本に帰りたいと思った。いざ日本に帰国してみるとアメリカが恋しい。人はないものねだりなのだなとよく思う。
私の留学生活は辛いこと大変なこと7割、楽しいこと3割だった。私のアメリカでのたくさんの経験を話すと、人からひどい1年だったねと言われることもしばしある。だが留学したことを後悔することはない。むしろ今の私にとってはあれは最高の1年だった。なぜならたった1年ほどであれほど苦労できるのも良い経験だ。成長の年だった。これからも常に自信と目標を持ち、日々自分を高めていきたい。
2015年8月 アメリカ派遣
AFS61期生/ジャパン・ソサエティーみちのく応援奨学金 五十嵐那奈
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