帰国して1か月半が経ちました。
いまだに、マレーシアでの記憶がたびたび思い出されて、帰りたいと思うことが多くあります。私にとってのマレーシアは、もう「第2の祖国」になっているようです。

暑さが特徴的なマレーシアでの生活は、日本の生活と大きく違っていました。シャワーは温水でなく冷水、紙の代わりに水を使うトイレ、手で食べる食事。日本で暮らす私たちにとって「信じられない」これらの文化は、マレーシアで暮らす人々にとっては「当たり前」なのです。

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正直な話、現地での生活が始まった当初の私には「異文化交流」という言葉の意味が理解しきれていませんでした。
国際的な英語がなぜマレー語より使われないのだ?なぜみんなマレー語で話せと言ってくるのだ?
後に考えると文化が違うゆえの「当たり前」に生じることにさえ、いちいち疑問を投げつけていました。その影響で学校で浮いてしまったり、ホストファミリーとも溝が出来てしまったりしました。

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登校最終日にクラスメイトと

プログラム後半に差掛かる頃から、自分自身の半年間の経験に「空虚さ」を感じた私は、「周囲に従い行動する」ことを心がけました。するとたくさんの人が私に声をかけてくれるようになり、困ったらアドバイスをくれて、彼らの文化について教えてもくれました。
それにより、私の留学生活は一転して充実感を覚えられるようになりました。充実感を覚えた分、私自身の意欲も向上しまた様々な経験を得ることが出来ました。

もちろん、留学中の出来事の全てがすべて楽しいという訳ではありませんでした。戦時中に日本が植民地支配した歴史の影響でなかなか打ち解けあえない人もいて、幾度となく頭を悩ませました。それでも、日本人という肩書きの責任と向き合いながら接していくことで、最後の方には信頼を築くことができました。
一度は溝があった家族とも、自分が出来事に取り組む姿勢を変えることで最終的にいい関係を取り戻すことが出来ました。

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登校最終日にクラスメイトと

「異文化の中に生きる」というこの11か月半の経験は、私に「異文化交流」という言葉の意味と共にもう一つ、大切なことを気付かせてくれました。
「自分が積極的な姿勢を示せば、相手は必ず応えてくれる。」
この貴重な経験を活かし、自分自身のさらなる成長・飛躍につなげていきたいと思います。

2015年2月 マレーシア派遣
AFS61期生/広島市高校生交換留学生奨学生 井口雄司

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