私の留学先・パナマは日本とは何もかも違う国だ。気候も文化も人も言語も日本とは違う国に留学したいというのは私の希望であったが、あまりにも大きな違いに驚きや戸惑いの毎日だった。
私の場合、言葉の壁よりも先に異文化という壁が目の前に立ちはだかったように思う。始めのころは日本とパナマを比べて、日本の整っていた環境をただ恋しく思うばかりだった。日本にいた時は毎日温かいシャワーを浴びて、温かいごはんを食べて、どこに行っても道はきれいに舗装されているのが当たり前だった。しかしパナマでは日本にいた時の「当たり前」は通用しない。頭の中ではそれを理解していたはずだったが、実際に異文化を受け入れるというのは想像以上に難しいことだった。
なかなかその壁を乗り越えられず日本に帰りたいと思ったことが何度もあった。それでも5ヵ月が経った今、パナマが好きになり、ここにきて良かったと思える。その理由はたくさんのいい出会いや発見があったからだ。
なによりも私を支えたのは、同じ時期にパナマに来たタイからの留学生の存在だ。彼女とはクラスは違うものの学校が同じで、私の隣の家に住んでいて、どこへ行っても一緒に行動している。
母語が違う私たちは、始めの頃からパナマの公用語であるスペイン語でコミュニケーションをとっていた。お互いにつたないスペイン語で、いつも理解し合えるまで伝えあった。分からないことは教え合い、相手の上達に刺激されて、まさに切磋琢磨という関係だった。彼女は一番の相談相手でもあった。留学生という同じ立場にたっていることもあり、いつでも私を励まし、支えてくれた。お互いの文化にも興味を持つきっかけにもなり、さらに世界への興味が広がった。彼女の存在が私を成長させてくれた。彼女は私にとって一生忘れられない友達だ。
学校のバンドに入りトランペットを習い始めたことも私に大きな刺激を与えた。今まで全く楽器を習ったことのなかったため、1からのスタートだったが先生や友達が教えてくれるため、すぐに楽器が好きになった。先生は休みの日まで練習のために私の家にきて教えてくださるほど熱心だ。友達の幅も広がり目標もできた。
残りの6ヵ月も何かに悩むこともまた新しい人たちとの出会うこともあると思う。そのすべてが私に刺激を与え成長させてくれるだろう。これからもさらにいろいろなことに興味を持ち、挑戦していきたい。
2012年7月 パナマより
AFS59期生/AFS地域奨学生(富山県) 浜浦このみ
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