私の家族はホストママ、ホストパパ、ホストシスター3人(19歳、18歳、16歳)で、16歳のホストシスターは私がドイツに滞在していた間、コスタリカに留学中でした。 学校はギムナジウムで、ホストシスターと同じ学校に通いました。普段は家から30分弱ほどかけてバスと電車で通学していますが、ホストシスターと時間の都合が合うときは車で送って貰う事もあります。
10年生だった頃は、一週間のうち3日間は午後1時まで、2日間は午後3時まで授業がありました。9月に学年が上がり、11年生では今までのようなクラス別授業ではなく講座別授業を受けていました。全学生がそれぞれ自分の学びたい教科を選び、個人の時間割を持っているので、朝から最長夕方5時まで授業がある日もあれば一日に4時間しか授業の無い日があったりとそれぞれです。
お昼は午後の授業がある時は学生食堂で(校内)、学校が午前中だけの日は家に帰ってからとっていました。学生食堂のメニューを注文して食べている子も多いですが、私のように家からパンと飲み物を持参してお昼休みに食べている子も多いです。
私のギムナジウムではAGという日本で言うところの部活のようなものがあり、お昼休みの間にロシア語やイタリア語などの語学講座や、音楽系クラブ(合唱、アンサンブル、シアタークラブ、ブラスバンド)、スポーツ系クラブ(テコンドーやバレーボール、サッカー、ダンス、卓球など)の活動もありました。私はロシア語のクラスと声楽アンサンブル(アカペラの合唱クラブです)に参加していました。先生たちもみなさんとても熱心で、いつも充実した時間をすごすことができました。
ただクラブが学校にあるというのはかなりまれな例らしく、他の学校に行っている子はそういった活動が無いため地域のクラブに参加しているという場合がほとんどでした。
はじめの2ヶ月は週に3回語学クラスがあったため、一週間のうち2日間しか学校に行けず、友達を作るのは少し大変でしたが、クラスの子たちはみんな親切で、とても気をつかってくれました。9月から11年生になり、講座には毎回知らない同級生がまじっていて名前と顔を覚えるのには苦労しましたが、前年度と比べてはるかにたくさんの人と知り合え(ドイツ語の上達のおかげもあって)、勉強内容は難しかったものの、毎日とても楽しかったです。
ホストファミリーにはとてもよくしてもらって、週末には近くの湖や街に連れて行ってもらったり、ファミリーのおじいちゃんおばあちゃんが我が家に遊びにきたりとのんびりした生活を送っていました。私はほぼ毎晩1時間ほどホストパパやホストママと話すことを習慣にしていて(たまにはシスターも加わって)、お互い良い時間を過ごしていました。特に話題が尽きることもなく、ドイツのローカルな話やことわざ、私たちが住んでいる地域(Baden-Wuerttemberg州)の事、ヨーロッパの言語の成り立ち、DDRやナチスの事、黒い森地方の話などなど、留学したからこそ知れるちょっとした小話を聞けるので私はこの時間がとても気に入っていました。ホストファミリーと毎日話すことによって自分の会話力もだんだんと伸びていったように思います。
私はドイツ語を日本で約半年間勉強してから出発したのではじめの2週間ぐらいのうちは英語も使いましたが、思っていたよりもすんなりドイツ語の生活になじむ事ができ、特に“言葉の壁”というものは感じた事がありません。日本の高校生が毎日忙しく時間がないのは当たり前のことだとは思いますが、現地語の学習は必ず日本にいるうちに、もし可能ならば質問のできる先生と一緒にやっておいたほうが良いと思います。
私の場合、日本にいるうちは文法と単語に特に力をいれて勉強して行きました。日本で覚えた400個ほどの単語はもちろん生活するには少なすぎる量ですが、はじめのうちはこの基礎単語にとても助けられました。単語を知っているのと知っていないのとでは理解度にものすごく差がでます。普段通学中に英単語を覚える要領で、現地語の単語も(できたら音声と一緒に)勉強して行くのが大切だと思います。
よく、現地に行けばなんとかなるという話を聞きますが、私は、これは本当にまれな例だと思いますし、こっちに来てから本当に努力して伸びる子もいますが、決して全員ではありません。海外から来た子を見ていると、全く勉強しないで来る子も居るものの、4、5年学校などでしっかり勉強してから来る子もわりと普通です。ぜひ現地語の学習は日本でも頑張ってください。
ビールやソーセージ、じゃがいもなどが日本人の思い浮かべる典型的なドイツ料理の例でしょうか。私は日本に居たときからよくパンを食べる生活を送っていたのですが、ドイツパンの種類の豊富さにはいつも驚かされました。
派遣先が南ドイツであったということもあり、パン屋さんでは白パン、黒パンはもちろん、ライ麦パン、穀物をすりつぶしたものが入ったパン、かぼちゃやその他いろいろな種がついたパンなど、本当にさまざまな種類のパンを置いています。パン屋さんに行くたびにどのパンを食べようか悩むのがとても幸せな一時でした。
日本食を恋しく思うときもしばしばありましたが、1年を通してドイツ料理のこともとても好きになったので、また日本でも挑戦してみるつもりです。
私や、私の友達の場合、とくに序盤は学校や現地語の勉強に手一杯で夜遅くまでがりがりと机に向かって文法書や辞書とにらめっこをしたりするのが普通でした。しかし、私や彼女のファミリーにしてみると子供が12時過ぎ頃やっとベッドに行くのは本当に異常なことのようでお互い理解しあうのは少し難しかったです。ファミリーは夜10時までに寝るという生活を何年も続けていて、私たちはたとえば部活の後やっと家に帰ってきて夜12時頃、遅ければ1時頃やっとベッドに行くのが普通という生活に慣れてしまっているわけですから。
私はファミリーと話し合って、夜の11時30分までには必ずベッドに行くという妥協案でこの問題を解決しました。これはファミリーの生活習慣によってとても違いが出る場面なので、一概にはいえませんが、はじめのうちはよくファミリーを観察してみて、自分やファミリーに合った新しい生活のリズムを見つけるのも大切だと思います。
また、日本の家族とホストファミリーの家族構成が違いすぎると新しい、知らなかった良い場面ももちろん沢山あるのですが、戸惑う場面も沢山あると思います。たとえば、私は日本では一人っ子ですが、ドイツには3人(今は2人)の姉妹が居ます。家族の中に同世代の人があと2人いるという環境を今まで全く経験した事が無かったので、どういう関係であればいいのかと深く考えすぎてしまうことがたびたびありました。
他には、特に田舎に派遣される留学生は方言に苦労することもあるかもしれません。これはドイツだけではなくフランス、スイス、オーストリアなどのヨーロッパ諸国にもいえることだと思いますが、特にドイツ語の方言事情には凄まじいものがあって、ホストファミリーの話では、自分の住んでいる地域から2km離れるだけで、方言が変わってしまい、ドイツ人でも全く相手の事が理解できなくなる、というのは当たり前のことだそうです。
最初のうちはずいぶんこの方言に悩まされ、なかなか心から好きになる事はできませんでしたが、4ヶ月ほど経ったときには方言もだいぶ聞き取れるようになり、今は時間が解決してくれる問題だったのかなあとも思います。もちろん、両親が大都市の出身だったり、教育方針によって、田舎に住んでいても家族の中では標準ドイツ語を話す、という家庭も少なくありません。
田舎に派遣された留学生の間でよく話題に上るのは交通関係の問題です。電車が一時間に一本しかなかったり、日曜日の夜は午後7時に終電がでてしまったり、(私は長野県の小さな村の出身で、もちろん交通事情は他の都市に比べてそれほどすばらしくはありませんが、それでも)しばしば不便だなあ、と感じる事もあります。このような土地的な不都合からファミリーチェンジを選択する留学生も居ますが、私はぶどう畑の広がる景色や、澄んだ空気、静かな環境がとても気に入っていたので、留学生自身がどれだけその土地の長所を見つけられるかどうかによると思いました。
2012年2月 ドイツ派遣
AFS58期生/ボランティア奨学生 秀島真奈
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