「混ざるって楽しい!」心からそう思った2週間でした。
イギリスプログラムはパブリックスクールで行われ、学校の寮に滞在しました。ROELANDというベルギーのNPOと提携して行われたということもあり、参加生78名のうちベルギー人が約半数を占めていました。
参加生のほとんどが一人部屋だった中、二人部屋でルームメイトと過ごせたことは本当に幸運だったと思います。その子は1歳年下のベルギー人だったのですが、とても明るく、一緒に歌ったり踊ったりもしたこともありました。
プログラムの説明には、たびたび「ステレオタイプの考え方を捨て、偏見をなくす」ということがテーマとして挙げられています。そのため、異文化交流の方がメインなのだろうとは思っていましたが、語学研修に参加するという意識もありました。
実際には、他の国からの参加生にはただの「サマーキャンプ」だと考えている人が多かったように思います。しかし、それは決して語学に対する意識が低いということではなく、むしろその姿勢には考えさせられるものがありました。
「日本語と英語と、あと何を話すの。」これはベルギー人の15歳にされた質問です。その子はまるで、楽器は何を弾けるの、とか、スポーツは何をするの、というように聞いてきたのです。一緒に過ごしてみて改めて実感したのですが、他の国の子どもたちは言語を「勉強する」という意識がほとんどありません。
「英語が嫌い」という日本人がいます。そう感じてしまうのは、英語が勉強しなくてはならない教科だと認識してしまうからなのかな、と思います。しかし、実際に英語で人と交流してみると「ツール」としての言語が見えてきます。こちらに会話をしたい、という意志があれば少々発音が下手でも、聞き取ることが苦手でも、コミュニケーションは成り立ちます。大切なのは、相手に伝えたいという気持ちだと思います。
なぜこう思うのかというと、初日に自分の出来なさを実感したからなのです。日本人は話したり聞いたりすることが苦手。これはよく聞く話なのではないでしょうか。実際に話してみると痛感します。もう相手の英語力に甘えよう、という位の気持ちでとにかく聞いて、話して、笑っていました。
英語で話すのが上手な子は、自分よりもずっと大人に見えるのだと思います。ところが、話していればその内「国が違ってもただの子ども」ということが見えてきます。グリンピースが嫌いだったり、悪戯をするのが大好きだったり。なんだ、ただの同年代の子たちじゃないか、と思えたらもうあとは簡単。自分の得意なことも見えてきて、ほんの少しだけ自信もつきました。
一緒に騒いで、遊んで、ふざけていたら、いつの間にかもう帰国。日本に帰りたいと思ったことは、一度もありませんでした。
帰国後、道行く人たちの姿を見て、何とも言えぬ喪失感を抱いたのを覚えています。「混ざっていない。」あっちもこっちも日本人。たまにいる他の国から来た人が目立つほどです。この寂しさは、一度混ざる楽しさを知ってしまうとそう簡単には消えません。沢山の民族の人が集まる中で暮らすってなんて楽しいのだろう。心からそう思います。元々、将来は海外で働きたいと思っていましたが、今回の体験を経てより強くそう思うようになりました。
語学を学ぶことは、大学に入ってからでも出来ます。でも、子どものサマーキャンプに参加できるのは高校時代が最後ではないでしょうか。他の国の子どもと混ざる生活には、大学での留学とは違った楽しさがあると思います。是非、より多くの人に高校生のうちに「混ざる楽しさ」を実感してほしいです。