そもそも俺がインドに行こうと思ったきっかけは中国渡航に遡り、その中国渡航のきっかけはオーストラリア渡航に遡ります(笑)
オーストラリアに行ったのは中学3年生の夏でした。中高生による姉妹都市との交換留学プログラムがあり、元々好奇心が旺盛だった俺は気軽に海外へ行けると知ってすぐに企画に飛び付きました。ALTの先生がオーストラリア出身だったことや、両親の新婚旅行先がオーストラリアだったことも抵抗なく応募出来た遠因かもしれません。
オーストラリアを訪れたのは約2週間で、姉妹都市の同級生の家庭にホームステイしました。ホストファザーは弁護士、ホストマザーは学芸員という裕福な家庭で、お姉ちゃんと妹を含む3兄弟と共にパンや牛肉を食べ、スクールバスで学校に行き、テレビゲームや卓球で遊び、庭で野生のカンガルーを見るというまさに「海外の生活」を満喫しました。帰国前にはシドニー観光もし、日本人が経営する日本食レストランに感激したり、シドニータワーから美しい夜景を見ながらディナーバイキングを楽しんだりと、何一つ不自由のない、100点満点の素晴らしい旅行です。

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タージマハルでホストブラザーと一緒に。インド人は皆大人びて見えますが、ホストは基本的に同い年か年下でした。それでも年上に見えてしまうほどみんなしっかりしている…

そんな中学校を卒業し、高校へ進学した昨年の春。ある程度新しい生活に慣れてきた頃、教室に「日中高校生友好交流事業」のポスターが掲示されました。
よく分からないけど、以前行って楽しかった「海外」にまた気軽に行ける、高校に入って一番の親友(今では親友でありライバルであり良き同志)も行くって言っているし、何せ面白そうだから応募してみよう!と特に目的意識も無く申し込みました。
そして中国を訪れたのが昨年の12月。ちょうどP.M2.5が世間を騒がせていた時期で、家族や友人からは冗談抜きで「生きて帰ってこい」と送り出されました。海外経験があるという自負のあった俺は、まさかみんな大袈裟な、と気にもしませんでした。

しかし、3泊4日という短い期間の中で目の当たりにした「異国」の雰囲気。
本当に空気が濁っている、常に何か臭い、料理もテーブルも椅子も油っぽい、車線はあってないようなもの、上海という大都市のはずなのに、貧しい身なりをしてしつこく絡んでくる押し売りの人たち、そして何故か明らかに暗い人がいる…。

一番衝撃だったのは、帰国直前に現地の日本人の方から聞いたお話でした。
彼は仕事柄、中国の内陸部(貧困地域)に行くこともあったようで。日本人だからって嫌がられることなく、地域の方々は彼を一生懸命もてなそうとして下さったそうです。でも、電気も通っていなければもちろん家電すらない貧困地帯。彼に出された“ご馳走”は、家の片隅にずっと放置され続けて腐ったも同然な一塊の肉でした。それを嫌な顔せず食べたという彼の話を聞いて、俺は涙が止まらなかった。
自分が「海外」に行っていい気になってて、世界を知ったつもりになってて、でも自分が今いるのは世界の中で最も恵まれた環境の中でしかなくて。世界のあらゆる課題を解決出来るとは思えないし、そんな傲慢なことを思っちゃいけないとは分かる。それでも、何も知らずに生きてきた自分が恥ずかしくて。悔しくて。もっと世界を知りたいと思った。海外ではなく異国を見たいと思った。

そんな思いを抱えて帰国した後、例の親友と話していた時に、彼の知り合いがAFSで留学しているという話題になりました。AFSなんて言葉初めて聞いて、全く分からなかった俺に彼が開いて見せてくれたAFSのホームページ。その中でひときわ目を引いた「インド」の文字。
既に心は決まっていました。高校2年生の夏休み1ヵ月間、課外もあったり、学校での立場上忙しい時期でもあったりしたけど。表面的には何度か悩んだ気もするけど、もう変えられない思いだったってことは今になれば分かる。

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言わずと知れたタージマハル観光に行った時、すれ違った初対面のインド人たちに写真を求められて一緒に撮影した場面。親しげに話しかけて来られて「すわ不審者か!?」と思ったのが申し訳ないほど気さくなおじちゃんたち。インド人、社交的です

そうして選び、選ばれた2014年夏AFS短期派遣プログラム(インド)。今回の選択にはインドに行って自分の思い込みから脱却したいという確固たる目的があったけど、根本に遡ると「何か面白そうだから」という気持ちが全ての始まりでした。ちょっとした好奇心のお陰で、今、中学生の俺には全く想像出来なかった世界が目の前に広がっています。

インドには確固たる目的を持って行ったものの、実際それを達成出来たかどうかは正直自分でも分かりません。
インドでは様々なものを見てきました。まさに何でもある、ごちゃごちゃした国です(それがとても楽しい!)。上海以上に車線を守らないどころか、そもそも車線あったっけ…?っていう感じで縦横無尽に車やバイク、自転車が走り回ります。ただ、テレビでよく見るような「世界一の渋滞」とは違い、インド人の運転テクニックは素晴らしく絶対に車を止めない。脇道から車が入ってくるー!ぶつかるーー!と思ったらちゃんと後続車が減速して、ぴったり1台分の隙間を作る(笑)道路に横断歩道は無いけど渡りたいから渡る。一番横断が上手なのはおばちゃんで、手を運転手に向けて無言の威圧!(笑)堂々と道路を横断して行きます。
助け合い精神も根強く、ある時スクールバスが来なかった日にホストファザーが自家用車で俺らを送るついでに、近所の同級生や親戚のおじさんも車に乗せて2人乗りの後部座席に4人も…(もちろんぎゅうぎゅう)。道路が珍しく渋滞していたからって勝手に逆走して違う道に戻り、それでも結局遅刻してみたり(笑)遅刻しても、逆走しても、車に詰め込まれてもインド人は文句を言いません。楽しそうに許容してくれます。いい意味でルーズな国民性でした。

ちなみに野良牛はちゃんといます。牛どころか犬、猫、猿、山羊、鳥までも街中で自由に生きていました。残念ながら野良象を見ることはありませんでしたが…。

インド人の宗教観にも驚きました。インドはヒンディー教が主ではありますが、他にも仏教やシク教の方もいます。シク教徒はいわゆるターバンを巻くのですが、それはもちろん学校に行っても外さない。校内で普通にターバンを被った子たちがいる…日本人から見ると変な風景ですが、彼らは別に何も気にしません。ホストマザーから聞いた話が印象的で、「世界にはたくさん言語があるでしょ?だから神の呼び方を各自持っているだけで、神様は皆同じなんだよ」という、これまたいい意味でルーズな考え方を学びました。実際ホストファミリーの家にはヒンディー教のガネーシャ、仏教の釈迦、その他日本やハワイやロシアの置物が違和感なく共存しています。

ごちゃごちゃしてる、という意味ではインド人の服装も個性的でした。学生は日本と同じように制服(男子はスラックスにシャツ)ですが、先生は民族衣装であるサリーを着るのが普通。ホストマザーはさすがに洋服か…と思ったら何気にサリーも着てる!
どちらかというと女性の方が民族衣装を着ているイメージがありますが、男性もちょっと特別な日にはクルタという民族衣装を着ます。日本では滅多に和装しませんが、インドでは当たり前のようにサリーやクルタが洋服に交じっていました。

その一方で、やっぱり上海以上の格差があって。
野良牛と同じ環境で暮らしている人々がいます。ろくに服も着ず、道端の木にぼろぼろの布を掛けてテント代わりにしているだけ。

交差点で信号待ちをしていると、トントンと窓を叩かれます。赤ん坊を抱いた女性や戦争で足を失った元軍人、小さな子供が物乞いをしたり、何か物を売りに来たり。ショッピングモールの入り口には腹部を異様に膨らませた女の子がいて。物乞いをしていて。
毎朝スクールバスを待っていると、大人に交じって、場合によっては子供だけで台車を引き、野菜などを売っている極端に足の細い男の子たち。それでも、普段から見慣れている彼らは何も感じられないようで。学校の購買で買ったお菓子が美味しくないと、中身がまだ残っているのにバスの窓から無造作に捨てます。俺は物乞いの女の子に目を合わせられなかった。お菓子を捨てるのを止めさせようとした時に、純粋な目で「何で?だって美味しくないんだよ?」と聞かれたときに何も答えられなかった。

「世界を見たい」って豪語して行ったのに、結局自分の小ささに気付かされて来ました。
自分ってまだまだ小さいから、もっともっと成長しなきゃいけないな、と気付かせてもらえました。

楽しいことも、辛いこともたくさんあったインドでの1ヵ月間。
自分にめちゃくちゃ自信を持てたかと思ったらすぐに落ち込んじゃって、自分が嫌になって、何も出来ないまま日本に帰りたくなくなって。

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毎日のスクールバスにて。インドプログラムのホストスクールであるAmity International school, Pushp Viharは小中高校生が通います。同じバスで通うちびちゃんたちと過ごす登下校は至福のひと時…折り紙のSwanとNinja Starが大ウケ!(さて、なーんだ?)

でも、日々ちょっとずつ成長することは出来ました。帰りのスクールバスで「Please tell me about the earthquake.」って言われて、片言で話したのに「What’s about…」と何度も何度も質問を投げかけ、真剣に聞いてくれた彼らの顔が忘れられません。世界を知る前に、まず日本のことも知らないと、というごく当たり前のことに気付けたのも一度外に出てみたからです。

お別れは笑おうとしてたのに、「When will you come next? Tomorrow? Next week?」って言われちゃって、泣くしかなくて。バスの中ではこらえることが出来たけど、降りてから違うバスで仲の良かった子の顔を見たらもう号泣で。「Why are you crying?」って言いながら泣いてるホストシスターもいて。別れたくないから一緒に泣いて。
滅多に泣くことなかったのに、どれだけインドが、どれだけみんなのことが好きになっていたか…初めて自分にもそんな一面があることを知りました。

インドは汚いとか、体調が不安だとか、行かない理由はいくらでも出てくると思います。確かにそれらのほとんどは事実かもしれない(幸い俺は派遣生の中で一番元気だったので分かりませんが…)。
でも、行くことで自分の中の何かが変わるのも絶対に事実です。今は気付けなくても、もしかしたら悪い意味で変わったように思えたとしても、最終的にはいい影響を与えてくれる気がします。

高校2年生の夏という、一生に一度しかない輝かしい日々をインドで過ごせて本当に幸せでした。辛かった日々はいくらでもあります。でもそれ以上に、楽しい思い出がたくさんあります(インド人と別れる時も泣いたけど、実は東京でみんなと別れる時も…)。一生忘れられない大切な思い出、そして、一生大好きなたくさんの日本、インドの友達が出来ました。

一緒に素敵な時を過ごした日本のみんな、インドのみんな、そしてホストファミリーとAFSのみなさん、本当にありがとうございました!

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