私がインドへ行こうと決めたのは、afsの年間留学説明会へ行った時だ。
その日、一年間の留学しか考えていなかった私に、インドへ行きたいと思わせ、家族までもインドの魅力に引き込ませた人に出会った。今年はきっとインドへ行く人が多すぎて定員オーバーになるかもしれないと本気で焦った。
ところが五月半ばに分かった衝撃の事実。インドへ行く人が一人だけだということ。そのため、イタリア人九人とインドで合流することになった。

授業はディスカッション中心で何をやっているのかわからず、帰宅してから辞書を調べてやっとその日の授業を理解することもあった。
色々な言葉が飛び交う中で、日本語しかできない自分を情けなく思うこともあった。
一方、日本語は綺麗、かっこいいと言われたり、文字を書けば、みんなが写真を撮っているのを見ると、日本語を話せることを誇らしく思えることもあった。

ラクシャバンタンでの儀式でシスターは浴衣、私はパンジャヒードレスを着た

車から見る景色も新鮮だった。荷物を引いている牛、時には道路の真ん中で寝転がってさえいる犬。噛まれないように気を付けてと本などに書いてあったが、そんな心配もあまり必要なく、吠えているのも幾度か見ただけだった。普通に寝転がっているので、歩くときは踏まないように注意しなければいけなかった。
猿や豚もみた。大統領官邸の庭で大量の猿を見たときは少し驚いた。とても賢くゴミ箱をあさっていて、手に持っていたスナックを取られそうになった。かわいくて、近寄っていたら、ホストファミリーに注意された。
サリー、パンジャビードレスをはじめとする様々な伝統的な服を着させてもらった。どれも美しく、それらを着て外出するのが大好きだった。

afs企画の二回の遠足では、デリーの観光とアーグラにあるタージマハルへ行った。
バスに乗る時間が長かったおかげで、イタリア人とそのホストシブリングともそれまで以上に仲良くなった。その中の一人が来月、日本に来るのでとても楽しみだ。

タージマハルに行った際、全員で飛び、警備員さんに怒られてしまった

そのほかにも沢山のことを思い出す。
貧富の差や格差を目の当たりにし、イタリア人の子と二人で車の中で大泣きしたこと、原爆の日のスピーチを頼まれ緊張していた時、イタリア人のクラスメイトが全員で見に来てくれたこと、ホストシスターに毎日怒られながらも、彼女のおかげでインドのダンスを五百人ほどの生徒たちの前で発表できたこと、帰国前オリエンテーションで職員さんにもっとインドにいさせてくださいと全員で頼み込んだことなど。
日本人一人で不安だったけれど、かけがえのない友達と新しい家族ができた。

インドの伝統的な踊りをインディペンスデイに踊りを披露した

たった1か月の滞在はそこで終わらず、今もつながっている。ホストファミリーやクラスメイトとはほとんど毎日チャットをする。担任の先生も英語で困ったら手伝うよと連絡を下さる。
地図上の国のひとつであったインドとイタリアが急に身近になった。ラジオ・テレビ・学校の授業が生き生きと伝わってくるようになった。

温かいホストファミリーをはじめ、afsの方々、学校の先生方に大変お世話になった。辛い時にいつも支えてくれたイタリア人のクラスメイト達にも感謝しきれない。
多くのサポートを受け、一か月無事に、楽しく、濃い時間を過ごすことができた。ありがとうございました。シュークリア!グラッツィエ!

-盛岡音羽

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