昨年、結婚することになったよとファミリーに連絡したところ、もちろん、マレーシアでも結婚式を挙げてくれるわよね?と返事をもらい、第二の実家で結婚式を挙げることになった。
日本人カップルの結婚式ということで、村の一大イベントとなり、700人が賑やかにお祝いしてくれた。実の娘の結婚式さながらに盛大な式の準備をしてくれたファミリーは決して裕福ではないが、いまなお、お金では買えない経験を私に与え続けてくれている。
2001年夏、マレーシア人でさえ「私もホームステイしてみたい!」と言うほど伝統的なマレースタイルの暮らしを守る村で、一か月を過ごした。6人兄弟(+猫9匹、ニワトリ多数!)の賑やかなファミリーとの生活がとても幸せで、必ずまた会いに来ると誓って帰国したが、その後の連絡手段は手紙しかない。英語がほとんど通じないファミリーに近況を伝えたい一心で、独学でマレー語の勉強を始めた。
大学ではフランス語を専攻したが、マレーシアへの思いが断ち切れず、マレー語と似たインドネシア語の授業を受け、卒業時にはなんとか手紙が書けるくらいになっていた。石油会社に就職し、ファミリーと繋がるために細々と勉強していたことが、数年後、私の仕事になった。来日するインドネシア政府要人のアテンドや、ニュースの翻訳を任されるようになったのだ。ファミリーと過ごした1か月間が、仕事で接するイスラム教徒への理解や配慮の助けになったことは言うまでもない。プライベートでは、縁あってマレーシア政府観光局専属の舞踊団でマレーシア舞踊を踊り、観光のプロモーションに携わらせてもらった。
マレーシアへ3度目の訪問をしたときのこと。ホームステイ当時7歳だった一番下のホストシスターが、「私たち、10年経ってようやく会話ができたね」とはにかみながら言ってくれた。マレー語で会話ができるようになって嬉しいと、ホストマザーが泣いて別れを惜しんでくれた。
ファミリーはこの15年間に生まれた子どもたちに、「日本にはマヤおばさんがいるんだよ」と、話して聞かせてくれているそうだ。私もいつか子どもを授かったら、ファミリーの話を聞かせ、次の世代でもこの交流が続けばと願っている。
たった1か月のAFS体験から始まった交流の物語は、この先どこまで続いていくだろう。ワクワクしながら年を重ねることができる幸せを、AFSに心から感謝したい。
2001年 ASEANプログラム(夏の短期派遣)
杉村(西山)真耶