日本に来る前に、中国でのオリーエテンションで教われたことの中に、今になっても、心に残っていたことがあります。それは[どんな問題と困難があっても、まずあなたから理解し、最終的にお互い理解しあいことが大切だ]ということでした。この思いを持ち、日本へ旅を立ちました。
東京に着き、3日間のオリーエテンションを通して、日本と中国の文化の違いを初めて感じました。例えば、味噌汁はスープンで飲まないとか、ご飯を食べる前と終わった後に、「いただけます」「ごちそう様」を言うなどは中国とまったく違く、びっくりしました。
そして、やっとホストファミリーの元へ行く日が来て、わくわく?楽しみ?緊張?よくわからない気持ちだったけど、すべてが新鮮でしようがありませんでした。最初のホストファミリーと様々なことがあって、最初に、自分の家族ではないのに、受け入れてくれたし、文化の違いもあるので、我慢するつもりでしたが、そういう問題ではないので、ホストチェージをしたが、とても残念だったし、申し訳ない気持ちがいっぱいでした。
佐藤家族へ行く前に、うまくいけるかなととても不安でした。しかし、佐藤家族に着いた当日の話なのですが、テレビを見ながら、すぐソファーで横になって、ぐっすり寝ていたことは未だに覚えています。佐藤家族はとても落ち着いて、まるで自分の家のように、暖かくて安心します。それで、私は佐藤家族でのハッピー生活を始まりました。
本当に佐藤家族での楽しい思い出が多すぎて、全部言い切れないです。一緒に中華料理作ったり、家族の誕生日ケーキを作ったり、野球観戦を見に行ったり、一緒に日の出を見に行ったりしていました。
その中に、一番忘れない思い出と言えば、家族で一緒に呪怨を見ていたら、とても怖くて、一人だと眠れないので、家族4人で一緒に寝たことです。このことは私にとって、本当の家族になったみたいなあかしでした。とても嬉しかったです。
また、中国で成人は18歳で、旭川に行った時に18歳の誕生日を迎えるので、中国の家族と一緒に過ごせないため、佐藤家族が私のために、着物を借りて、コース料理を食べて、写真も撮りました。本当に嬉しいし、感謝の気持ちがいっぱいです。本当の娘のようにしてくれて、本当に感謝しかないです。
もちろん楽しいことばかりではなかったです。ある日に、いろいろあった後に、お母さんと抱きしめあい、号泣していました。本当の家族のように、喧嘩とかしても、仲直りできるし、もっと仲良くなれました。
佐藤家族だからこそ、佐藤お母さんだからこそ、一緒に乗り越えられたと思います。文化によっての考え方や意見の違いはもちろんあるが、お互いの理解がとても大切だなと実感しました。
一方、学校のほうなのですが、最初、みんなが私のことにとても興味を持っていたけど、段々みんなは普段の生活に戻り、勉強も部活も忙しいので、一時はとても寂しかったです。しかし、これじゃ留学の意味がないと思って、積極的に部活や学校行事に参加すると決心しました。
バレー部のマネジャーをやりました。みんなと一緒に笑い、一緒に泣き、大会のために頑張りました。一緒に頑張るによって、何じんと関係なく、お互い打ち解けて、仲良くなりました。
中国に帰るときに、「ヤンヤンずっと仲良しいだよ」とか、「今度、中国に遊びに行くからね」とか、「ヤンヤンを見て、中国についての印象めちゃ変わったよ、ありがとう」とかを言ってくれて、本当に頑張って良かった、日本に来てよかったと思いました。
したがって、たとえ国の出身が違っても、文化の背景が違っても、性格が違っても、みんなは同じく優しい心を持ち、豊かな感情を持つ普通の一人であります。なので、お互い理解しあい、一人一人が良い関係を持てたら、世界がきっと平和になれるだろう。私はそう信じています。
私は現在では青山学院大学の国際コミュニケーション学科で勉強しています。AFSの学生ボランティーアもやっています。将来では、AFSのような国際交流団体で働きたいと思っていて、一生、国際交流に尽くしたいと思っています。
AFSのおかげで、素敵な家族、友達ができて、夢も出来ました。なので、どんなに辛くても、一生逃げません、これは私の恩返しであり、責任であり、夢でもあります。ありがとうございます、日本。
2009年に中国から来日
佐藤さんファミリー
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