今回は日本経済新聞社で記者やデスクを務め、2023年から、アジアの情報をアジアの視点で編集し、世界に発信する英語媒体「Nikkei Asia」の編集長を務めている中山真理事にお話を伺いました。

―6月に理事・評議員を対象としたAFS国際本部の研修に参加いただきましたが、今年発表されたAFSが担う役割・意義などを再定義した「AFSの教育フレームワーク」のトピックが、特に印象に残っていらっしゃるそうですね。

私自身はAFSでアメリカに留学した帰国生ですが、大学を卒業し、新聞社の記者やデスクとしてのキャリアを積む中でAFS活動からはしばらく離れていました。縁あって昨年より理事として活動に関わることになりましたが、今回の研修で「教育フレームワーク」についてレクチャーを受けたことで、高校留学経験者として、「あの体験はどのような効果をもたらしたのか?」について、30年近く経って振り返ることができたのは新鮮な経験でした。
「高校留学の体験がなかったら、今の自分はなかった」と多くの方が既に語られているように、あの体験が大きなインパクトをもつものであったことは確かです。ただ、大学以降の履歴書に書けるような具体的な経歴や資格とは異なり、どのように自分のキャリアに活かされているのかを言語化するのは難しいと感じていました。
今回のフレームワークによって言語化されたことで「なるほど、そういうことだったのか」と思えることが多くありました。逆に言えば、このような機会がなければ、しっかりと体験を振り返ることはなかったかもしれません。

理事・評議員を対象としたAFS国際本部の研修

―AFSの教育フレームワークができたということは、AFS体験の価値が言語化されたともいえるわけですね。

それが必要な時代になったとも言えます。昔は、日本での高校生活から、まだ見たこともない世界に飛び出すには相当の覚悟と勇気が必要だったと思います。そのような方たちは、このようなフレームワークがなくても、それぞれが体験の意義を考え、その価値をそれぞれがはっきりと見出していたのではないでしょうか。しかし今は留学の手段も多様化していますし、語学を学ぶにしても海外事情を知るにしても、海外に行かずともある程度は達成できます。
そうなったときに、AFSがやっていることの意味や価値は何なのか?それを立ち止まって考える時期にきているのでしょう。様々な模索をする中で、アクティブ・グローバル・シチズンという考え方がでてきたのだろうと推測します。
このような模索は、AFSに限ったことではありません。というのも、例えば私が所属する新聞社においても、以前はこの仕事を何のためにやるのか、何のために新聞記者になるのかということは、当たり前のように個々人が考えていました。しかし今はそれが明確ではない状態で入社する人も多く、新入社員は働く目的やミッションに関する議論から始めるようになってきています。
個人が多様な選択肢をもてるようになり、様々な情報にアクセスしやすくなったからこそ、指針となるフレームワークの存在が求められるようになってきたのだと思います。

―教育フレームワークで示されている基本原則には「アクティブ・グローバル・シチズンになるということは、良識的に判断・行動できるような、生涯使える羅針盤をもつことである」という比喩表現がでてきます。体験を振り返る中で、AFSプログラムに参加したことで羅針盤を手に入れていた、という感覚はありますか?

今の職場は、アジアという広大で多様性のある地域で起きるニュースを取材し、日本だけでなくアジア各国の記者の価値観や視点をひとつのメディアにのせて発信するという、まさに多様性が具現化された現場です。もしAFS留学の経験がないまま、日々多様な文化が交差するこの環境にきていたら、戸惑うことも多かったかもしれません。
ひとつ重要な要素だったのだろうと思うのは、AFS留学が10代の、高校生のときの体験であったということです。もし、今の年齢で初めてアメリカの家庭で暮らすことになったら、全てを相手のやり方に合わせることは難しかったでしょう。反発も大きいと思います。しかし高校生という年代では、判断する前に受け入れるしかない状況に置かれることが大半です。そのような経験が、異なる価値観が交差する環境での身の置き方に影響を与えている可能性はあります。

さきほど、どの経験がどのように活かされているのかを言語化するのは難しいと言いましたが、それは、この体験が人格形成という基礎的な部分に影響を与えるものだからかもしれません。自分自身も普段は意識しないような、自分の土台となる部分がつくられる時代の体験だからこそ、影響を特定することは難しい。けれども自身の深い部分で、判断や行動の指針になっている。それを教育フレームワークでは羅針盤という比喩で表しているのでしょう。

―人格形成というのはまさに教育の話ですね。中山理事は記者・編集者でいらっしゃいますが、教育にも関心はおありでしたか。

教育には関心がありました。学ぶことも、教えることも。
記者というのは新しいことを調べ、学ぶことの連続です。日々勉強できるような仕事に就けたらいいなと考えていて、それが叶う職業のひとつが新聞記者でした。また、記者は伝える仕事でもあります。「むずしいことをやさしく、やさしいことを深く…」という言葉がありますが、それを常に意識しながら、わかりやすく伝えていく力も試されますし、そこに面白さも感じています。
実は記者と教育は親和性が高く、新聞記者から先生になる人も多いですよ。

―教育への関心という点でも、教育フレームワークによる言語化は興味深いものであったことと思います。AFS活動全体を、いまどのようにご覧になっていますか。

ボランティアの人たちがこんなに、細かいところまで真剣に議論して運営しているプログラムだということは、生徒側にいるときはわかりませんでした。こんな団体は他にはないのではないかと思います。これは、理事になり、様々な議論に触れる中でみえてきたことです。
一方でAFSという伝統と実績をもとに、善意を前提に多くのことが成り立っているこの現在のプログラムが、この先も持続可能であるのかは、一度立ち止まって考えるときがきているかもしれません。
教育フレームワークを軸に、AFSの体験の価値を改めて考え、変えてもいいこと、変えるべきではないことを皆さんと一緒に考えていけたらと思います。


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