2023年5月19日、「AFS友の会ネットワーキング集い」がオンラインで開催されました。お話していただいたのは、2019年~2020年まで、AFS日本協会が実施団体となった文部科学省補助事業「アジア高校生架け橋プロジェクト」の2期生としてトルコから隠岐の海士町に留学したヤスミン・カラムツルさんです。ヤスミンさんは、帰国後、トルコの大学に入学しましたが、日本での生活が忘れられず、文部科学省学士奨学金を得て再来日し、東京外国語大学で1年間の日本語研修を終えて、現在は神戸大学経済学部で国際貿易を専攻しています。

ヤスミンさんは、今年2月にマグニチュード7.8を記録したトルコ・シリア大地震の震央であるハタイ県出身です。ご親戚やお友達が被災しましたので、涙ながらに震災のようすを話してくださいました。

ヤスミンさんは、トルコ南東部の人口約2000人の小さな田舎町で育ち、子どもの頃から日本語のアニメを字幕で何度も見ることで日本語を学んでいたそうです。それで、「高層ビル・大都会・満員電車・アニメ」というイメージの日本に憧れていたので、日本に留学が決まった時は大喜びしたそうです。でも、実際に島根県海士町に配属が決まり、町の様子をGoogle検索してみると、イメージとはかけ離れた田舎でなにもない所のようでしたので、落胆し留学を断念しようかと思ったそうです。
ヤスミンさんは、隠岐が、後鳥羽上皇や後醍醐天皇が島流しになった島だということを知り、自分は悪いこともしていないのに、どうして島流しにされるのかと悩んだそうです。そして、初めて隠岐の港に着いた時に目にしたものは、「ないものはない」と書かれた島のロゴマークでした。

しかし、島根県立隠岐島前高等学校で全国から集まる寮生たちとともに寮生活をし、親切な島民の方々と人情味溢れる会話を通して触れ合う中で、心が開き、海士町が大好きになり、貴重な体験をすることができたと言っています。毎日の散歩の中で変化する自然の美しさを発見し、夕陽の美しさに感動し心が癒されたそうです。
65歳以上の高齢者が人口の40%を占める海士町には、古き良き伝統があり、上皇や天皇縁の神社も多く、他では味わえないような人生で一番楽しい経験ができたそうです。寮生のホストファミリーに招かれて夕食を御馳走になったり、家族としての和やかな時を過ごすこともできたそうです。
念願だった東京行きを実現するために、島民や寮生にクラウドファンディングで東京行きの交通費を募ってもらい、寮生の実家にホームステイしながら、東京や三重や大阪の都会も旅行したそうです。お正月には、お節料理をいただいたり、初詣にでかけて日本の文化に触れることもできたそうです。

しかし、このような経験は海士町に留学したからこそ味わうことができたのだと重ねて強調していました。ヤスミンさんは、積極的に島民や寮生たちを理解しようとし、「ないものはない」という島の異なる価値観の文化を受け入れたからこそ、周囲の人たちも彼女のやりたいことを成就させてくれたのだと思います。
「泣きながら島に来て、泣きながらトルコに帰国した」という彼女の言葉がすばらしい留学体験を物語っています。「ないものはない」という異文化を受け入れ、島民の人の話に耳を傾け共感し尊重しあい、文化の壁を乗り越えることができたからヤスミンさんは大きく成長できたのだと思いました。感受性豊かな十代だからこそできる冒険であり、ヤスミンさんの謙虚さが、1年間の大きな飛躍に繋がったのだと感じました。

帰国後、ヤスミンさんはどうしても日本の大学で学びたいとトルコの大学を中退して、文部科学省学士奨学金を得て、再来日しました。東京で1年間日本語の研修を受け、現在、神戸大学に在籍していますが、憧れだった都会よりも隠岐での方が遥かに多くの人と出会い話もできて素晴らしかったと隠岐での生活を懐かしんでいます。
「人口の多さや面積の広さと人々と出会いの数は関係ない」という彼女の言葉が印象的でした。東京や神戸に住んで今感じている素直な心境だと思います。幸い、6か月間寝食を共にした優しかった寮生にも東京や神戸で再会することができたそうです。
ヤスミンさんは、トルコの安くて美味しい野菜や果物などの農産物を日本や世界の人にも味わってもらいたいから、将来国際貿易の仕事がしたいと抱負を語っています。日本でお世話になったので恩返しに日本に貢献したいと言っています。

最後に、2月のトルコ・シリア大地震についても声を詰まらせながら辛い心のうちを話してくれました。死者数56,000人中30,000人がハタイ県の人で、町の3分の2の建造物が倒壊したそうです。震災前、ハタイ県は、第一次世界大戦後にフランス領となったため街並みは洋風の美しい建築と自然の織りなす絶景で風光明媚なところだったそうです。多宗教で、イスラム教・キリスト教・ユダヤ教のモスク・教会・寺院が隣どうしに立ち並ぶ多様性を尊重したユニークな街だそうです。また、シルクロードの終点で、東洋と西洋が出会う場所でもあり豊かな文化が開花し、2017年にはユネスコにより食べ物の美味しい「食文化創造都市」に指定されたそうです。
この美しい故郷が瓦礫の山と化し、親戚をはじめ多くの知人がテント生活を強いられている今、改めて「ないものはない」という隠岐の価値観が、今後「ゼロからどのようにハタイ県の生活や文化を造り上げようか」という問いとなり、ヤスミンさんの心に重なり合って響いているといいます。ハタイ県の豊かな食文化を国際貿易につなぐことをライフワークにしようと神戸大学経済学部で学んでいるヤスミンさんは、「ないものはない」だからこそ、そこから新しい未来を創造したいと熱意と意気込みを持って前向きに生きようとしていて、希望に輝いて見えました。両国の架け橋となりたいと望むヤスミンさんは、グローバル市民として確かな歩みを続けていると思います。
ヤスミンさん、お忙しい中ご講演いただきありがとうございました。

この度の地震で亡くなられた方のご冥福をお祈りしますとともに、被災地の一日も早い復興をお祈りいたします。また、AFSトルコのこれからのご発展を祈念申し上げます。

Walk together, Talk together

(文責:山田邦子)


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