2022年10月9日(日)名古屋国際センター第一会議室で、服部夫妻の30年の銃規制活動を振り返る会が開かれました。(主催 : YOSHI の会、協力 : 公益財団法人 AFS 日本協会、名古屋市立大学平田ゼミ)
服部剛丈(よしひろ)さんは、1992年、留学先として選び派遣されたアメリカで、銃によって突然命を奪われました。銃を撃った人物は、刑事裁判では無罪となりましたが、服部さんが損害賠償を求めて起こした民事裁判では賠償命令が下されました。
裁判での経験を通じて服部さんは「息子を射殺したアメリカを恨む中からは何も生まれない、むしろ銃のない日本の社会をアメリカの若者に見てほしい」という思いを抱かれ、AFSに「YOSHI基金」を託されました。剛丈さんの名前を冠してアメリカから日本に来る高校生のために設けられた「Yoshi Hattori Memorial Scholarship」には、異なる文化・価値観で生きる社会を知り、共に平和に生きられる方法を見つけてほしいという思いが込められています。AFSは1994年から2022年までに、本奨学金によって、31名の留学生をアメリカから日本に受け入れています。
事件直後から服部さんと手を取り合ってきたのが、剛丈さんのホストファミリーであったヘイメーカーさんです。10月9日に開かれた会では、名古屋市立大学の平田雅己さんが服部さんに話をお聞きする形で、裁判やヘイメーカーさんとの絆、アメリカでの銃規制を目指した署名活動と成果、現在のアメリカ社会について、服部さんがお話しされました。
当日は、YOSHI基金の奨学生として2007年に来日したマシュー・プレッツさんのビデオメッセージも投影されました。マシューさんは日本への留学で得た最大の宝物は「自分と異なる意見の人の視点を理解する能力を得たこと」であると話し、銃を所有する動機が安全性であると考える人がいる事実をもとに、銃を持つ危険性・暴力性を多くの人が認識することが必要だと力説しました。
会の最後には、AFS日本協会の理事・事務局長の河野が挨拶をさせていただきました。要旨をご紹介します。
- 服部さんは銃のない平和な社会を目指し活動されてきた。日米両国多くの人が心を動かされた。30年を節目に若い方にバトンを渡すことを決意されたが、これまでの活動に心から敬意を表する。
- AFSはボランティアで成り立っている団体。悲しく痛ましい事件のあと、帰国生が中心となって、危機管理指導が行われた。AFS国際本部も危機管理体制を築くために多くの時間を費やした。
- AFSは常に生徒とプログラムに参加する人々の安全を第一に考え、ガイドラインに従い、プログラムを運営している。
- 服部さんはより平和な社会を願い、行動を起こされた。YOSHI基金生もまた、平和な次の世界を、より多くの人と協力して築いてくれることと思う。
- 平和を築く力を養うのは、教育しかない。AFSは互いを尊重しあう異文化理解教育を続ける。あらためてこれを誓い、挨拶とさせていただく。
「服部夫妻の30年を振り返る会」については、YOSHIの会のWEBサイトで詳しくご覧いただけます。
http://www11.plala.or.jp/yoshic/Yoshic30yearshtml.html
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