平成29年12月2日(土)14時からAFS日本協会事務所会議室で福山大樹氏(株式会社FIKA社長)による講演・懇親会が行われました。予定時間を超過する1時間40分に亘る熱のこもった講演会の模様をお伝えします。

ネット業界から宿泊業への転身!
2度目の起業で門外漢のホステルを開業するまで

2020年の東京オリンピック・パラリンピックを控えて観光日本の更なる飛躍を目指し、官民一体となっての動きが益々加速する中、福山氏はIT業界から宿泊業経営へと転身され、昨年神楽坂に独自のコンセプトによるホステルUnplanを開業されました。

このネーミングにも彼独特の感性が感じられます。すなわち、前もって計画を立てない、“Unplanned”を意味し、自由な旅行を楽しむバックパッカーを意識したもので、彼らとのコミュニケーション及び彼ら同士のコミュニケーションを大切に考え、既存のホテル、観光案内所にはない新しい価値を提供するビジネスモデルを創出されました。

福山氏は現在43歳、陸上の桐生選手に風貌がよく似た若々しくエネルギッシュな、それでいて落着いた雰囲気の起業家です。これまでの彼の人生を辿ってみましょう。

1. 麻布中学・高校から東大そしてソニー入社

それこそ絵に描いたようなエリートコースを歩んだ彼ですが、これまでには葛藤、苦悩があり、人生の節目節目には人との出会いがありました。

・高校時代 AFS38期生 1991-1992 Swedenに留学

留学した理由は、レールに乗った人生から外れてみたかったのと、自分の人生における立ち位置を探してみたかったからだそうです。
都会育ちがSwedenの片田舎で気付いたこととは、彼女から言われた一言の「勉強ばかりで疲れない?」。勉強することが当たり前と思っていたので新鮮で多様な価値観の存在に気付くのです。(私もAFS13期米国留学でサウスダコタ州という片田舎で一年間を過ごしたので、彼の経験がよく分ります。)

・大学時代

帰国後、東大理1を受験するも不合格。その際、人生を深く考える機会を得て進路を文系に変更。二浪して東大に入学、社会学を専攻します。
自分はノウハウがあるないにかかわらず興味あることをやった方が、たとえ人より遅れていてもいずれ実力がついて成功すると考えます。(超ポジティブ!)

所謂バックパッカーとして海外旅行に出かける。(中東を陸路で!今じゃ考えら れないですね。)
日本の子供達を引率して海外に出かける。(その頃から何気にリーダーとしての資質があったんですね。)
1998年、大学3年生の時、長野オリンピックでボランティア活動をしました。(昔の大学生は大抵同じようなことをしていました。私は1970年の大阪万博のとき大阪外大3年生でしたが、会場での直接バイトではなく、英語ブームの会社で英会話を教えて荒稼ぎをしていたかなあ。AFS生の皆さんは多少の照れもあって、大学時代はあまり勉強
をしていないとよく言われるのですが、必ず何かに打ち込まれていたと思います。)

2.ソニー時代  1999-2005年

本当に自分は何をしたいのか、大いに迷いつつも福山青年はソニーに入社します。同期は皆優秀な人ばかりで、振り返ってみて自分は随分生意気な社会人、使いづらい会社員だったと述懐されています。(確かにそうだね。)
経営管理部に所属しつつ、仕事以外に何か打ち込めるものはないかと模索。インターネットに興味を持ち、SNSのサイトを作ったりしていましたが、社内FAでネットサービス部門に移動したものの、皮肉なことにその頃からソニーの業績が悪化してインターネット部門が縮小傾向になります。
社内勉強会で一緒だった仲間の田中良和(GREEの創業者)氏らは早々にソニーを去っていました。
福山青年はソニーの看板がなければ、自分に誇れるものがないと自覚し、大いに悩むわけです。そんなとき、お父上が亡くなられます。ここでもある女性の一言、「辞めればいいじゃない」で気付きます。自分に自信が無いから迷っているのだ、本気にならないと何も出来ないと悟り、2005年6月にソニーを退職します。
セイフティーネットはなかったがソニーの年収レベルに拘らねば、転職しても食べていけるという自信があったようです。(この心理的保険を持てる余裕を楽観主義と呼ぶなら呼べ。経営者は悲観的であってはならない。若いって素晴らしい。)

3.ソラソル(WEB会社)時代 2005-2013年

ソニーを辞めてソラソルという会社を共同で立ち上げます。ソラ=空、ソル=太陽、明るく上を見上げるイメージですね。
彼が仕事を選択する際重視したのは、好きなこと、得意なこと、社会が求めていることの三つでした。東大卒と言えば役人、金融、商社、大手メーカーという一般的就職イメージがあり、当時は不動産、旅行業は選択肢になかったようです。(正直ですね。)

ホームページ制作がソラソルの主な仕事でしたが、共同創業者3人で方針の違いが顕になります。請負中心(安定しているが将来が不安)で行くか、それとも自社で新しいサービスを作り出す(一か八かになる)か。
結局他の共同創業者は会社を去り、福山氏が経営者となります。会社は順調に業績を伸ばし、10人から15人に成長するのですが、2011年の大震災後ピンチに陥ります。
その難局を乗り切り、業績は回復するのですが、やがてオフショア(外注)が流行。フリーランスも増えてアプリやホームページは誰でも作れる時代になります。

ソラソルの社内体制が請負重視で自社サービスが出来ていないと感じ、このまま一生続けるのか疑問を持ち、もう一回何かにチャレンジしてみたいと思うようになります。しかし社長としては従業員の生活を守る責任があり、昔のように自分一人の勝手では動けません。
転機は東京オリンピックの決定でした。チャレンジするならいつ? 今でしょ、ということで売却先を探します。培った人脈とはありがたいもので、ソラソルを従業員そのままで買ってくれる企業が現れて、2013年に売却ができました。その企業は今年3月に株式上場を果たしたそうです。(よかったですね。)

4. 2013年~現在

ソラソルを売却したものの何をするか迷います。本当にやりたい仕事とは英訳アプリ制作かそれともホステル経営か。

IT業界は日進月歩、企業は常に変化し、個人も絶えず学び続けなければなりません。知識は直ぐに陳腐化します。インターネットはもういい、興味がそこまでもてなくなってきたし、若い人と競争をこのまま続けるのは無理!と結論を出します。(頭の切り替えも早い!)
元々観光業に興味があって、自分がやるべき仕事かなという思いがあり、インバウンドに対する想いも強かったのです。バックパッカーの視点で見ると、成田空港に着いたとき日本の魅力が十分伝えられていないことも気になっていました。
しかし単なる観光案内所では収益があげられない。ホステルなら宿泊という基礎があり、自分はネットプロモーションが得意だからやっていけそうに思えました。
旅行業界はイノベーションがなく、旧態依然で、そもそも宿泊業は家庭サービスの延長線上にあり、誰でもできると考えました。現在の旅行業界をみても、アジアからの団体旅行が個人旅行の流れになっているのに顧客の要望を細かく把握しているところは無いように思えます。安宿需要を大事にすればやがてバックパッカーが将来又日本を訪れることになります。顧客との距離が近いホステルなら生の情報が入手できるメリットもあります。

イノベーションとは異業種の人が、新しい視点で、新しいトレンドを見極め、いち早く計画を実行するそのときに起きるものです。
門外漢だった福山氏がどのようにしてUnplanをオープンできたのか、具体的に追ってみましょう。

・準備段階

分からないことは人に聞く。
フェイスブックを最大限利用する。
インターネット、書籍で調べまくる。
P/L(損益計算書)をしっかり作る。
こうして出来上がったプランを専門家に見てもらいました。

物件探しは難航を極めます。不動産屋は保守的で彼のような不確実な事業者に物件を貸したがりません。小規模で始めては成功するまでに時間がかかり過ぎると考えて、敢えてビル一棟賃貸にこだわります。
50-100人が宿泊できる施設が絶対条件でした。行き詰まったころ、大学の後輩から情報を得て、遂に神楽坂に物件を見つけ仮契約を結びますが、ここからがまた苦労の連続です。
そう、お金の問題です。自己資金として6000万円を用意したものの、事業費として最初の見積もりは3億円といわれ、削りに削って1.3億円まで減額したものの、まだ足りません。
当然パートナーと協議するわけですが、結局R-ProjectやDI(Digital Identity)とも物別れに終わります。払い込んだ保証金1200万円を没収されそうになったり、相手から損害賠償を請求されるかもしれない危機に陥ります。
資金集めのプレッシャーは中小企業経営者の宿命です。今までなら、逃げ出すことも出来たかもしれませんが、不動産が絡むともう逃げ場がありません。
そんなとき、福山氏はみずほ銀行渋谷支店の大辻部長に「VC(ヴェンチャーキャピタル)でやるな、自分でやれ」と言われ覚悟を決めるのです。最終的に銀行から融資も受けられ、逆境を脱して2016年4月UnplanをOpenします。

東京オリンピックまでにホステルを20箇所建設したい。ホテルでは場所の確保が困難だが、 ホステルなら空きビルを活用できるので可能と考えています。
一号店は話題にもなり業績は順調です。この成功をみて投資者が殺到しているそうです。

福山氏がこの人生経験を通じて学んだことがあります。
「リスクを負ってやって乗り越えてみて初めて見える景色もある。リスクヘッジだけをしていては物事は何も始まらない。」 (然り名言です。)

若い経営者に刺激を受けて頑張ろうという気になった私です。
福山さんのご健勝と社業の更なる発展をお祈りして報告を終わります。

交野正隆(AFS13期)


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