11月7日と8日、ソフィー(アメリカ)・ソロモン(オーストラリア)・フィン(アイスランド)・シャーリン(マレーシア)・リリー(オーストリア)と引率者の山田の6人で「広島平和学習」のために広島県を訪れました。広島県にある2つの世界遺産を見ることができました。
初日は、JRで新大阪に出て、新幹線に乗り継ぎ、広島からは在来線で宮島口まで行き、フェリーで宮島に渡りました。
弥山の中腹に原始林が広がる神の島は、ちょうど紅葉狩りの季節を迎えていました。フェリーを下船し最初に迎えてくれたのは、人懐こい鹿たちでした。参道を歩き、朱塗りの鳥居まで進むと、あいにく干潮で、海に浮かぶ大鳥居と厳島神社の風景は見ることができませんでした。
平清盛公が1168年に造営した厳島神社は、1996年より世界文化遺産に登録されています。AFSのみんなは、興奮気味でした。海水のさしひきするところに立っている御社殿に参拝し、お守りを買って、自由行動となりました。帰りには、潮が満ちできて、みるみるうちに大鳥居は海の中に入っていきました。
夕方、6時に広島駅に戻り、駅ビルの「麗ちゃん」と呼ばれる簡易食堂で、夕食に広島名物のお好み焼きをみんなでいただきました。そば入りやうどん入りのお好み焼きはみんな初めてで、食べきれない量に驚いていた様子でした。
翌日は、10時に、秋葉忠利前理事長のご紹介でボランティアガイドをお願いした橘光生様の案内で、広島平和記念資料館を見学しました。当時の様子を再現した展示物や本物の遺留品を見て、みんな戦争の悲惨さと平和の大切さを痛感していました。留学生たちはを展示品を熱心に鑑賞し、時間の経つのも忘れていた様子でした。
その後、資料館を出て、「マンハッタン・プロジェクト」と呼ばれるアメリカの最後の原子爆弾実験現場で、第2次世界大戦終焉直前の被爆地となった現在の平和記念公園内の慰霊塔・平和の灯・貞子の石像・千羽鶴・原爆供養塔・平和の鐘の解説を聞きながら歴史を学びました。
広島平和記念公園は、復興と人類の平和を願う都市計画の一環で、丹下健三氏の設計によるものです。原爆ドーム・慰霊碑・資料館を一直線に結ぶ南北の建造物は、8月6日の平和記念式典が開催される公園にあります。慰霊碑の前で原爆の犠牲者のご冥福をお祈りしながら、お話しを聞きました。
太田川から元安川が分岐する投下目標地点の相生橋を渡り、原爆ドームへと向かいました。惨禍を伝える原爆ドームは、元は広島県産業奨励館でした。現在、ユネスコの世界文化遺産に登録されており、「二度と同じような悲劇が起こらないように」との願いを込め、維持・保存されているそうです。
戦後70年の節目を迎えた2015年に、広島を訪れ、戦争の本当の目的や史実を検証できたことは、有意義なことでした。世界文化遺産の原爆ドームは、チェコの建築家ヤン・レッツェルによってちょうど100年前の1915年に建造されたネオ・バロック様式の建物ですが、70年前の原爆で一部が破壊され、原爆の破壊力を、今なお後世の訪れる人々に伝えています。
オバマ大統領が、チェコのプラハで核兵器廃絶と戦争のない平和な社会を希求して演説をされ、ノーベル平和賞を受賞されたのも、歴史の点と点が線に繋がっている証です。留学生たちも平和な世界を築く地球市民としてAFS活動に参加した喜びを感じているようでした。
その後、1598年に毛利輝元によって築かれた天守閣が現存する広島城を訪れました。折しも、広島城大菊花展が開催されており、見事な大菊・だるま菊・厚物やくだ菊・懸崖などの入賞作品に広島の秋景色を鑑賞できました。可愛い七五三姿の子供たちにも出会い、留学生たちは日本文化を満喫していたようでした。
文責:福井支部 山田邦子
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