JAXA宇宙科学研究所 助教
(AFS31期生 1984年~1985年)宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究所(ISAS)学際科学研究系助教。米国NASAジョンソン宇宙センター勤務を経て、1999年より現職。小惑星探査機「はやぶさ」のプロジェクトメンバー。著書に『星のかけらを採りにいく―宇宙塵と小惑星探査(岩波ジュニア新書)』など。
—高校留学のきっかけを教えてください
私は、宇宙が身近な国では人々はどのように生活して、宇宙をどう語っているのだろう、スペースシャトルや惑星探査機をどんどん打ち上げている国に行ってみたいと、小学校高学年~中学生ぐらいの頃から興味を持っていました。それでアメリカか旧ソ連のどちらかの国に行ってみたいと思っていたところ、雑誌の広告で留学のことを知り、こんなものがあるのであれば受けてみようと思ったのがきっかけです。
小学校で英語の勉強をしていたわけではなく、英語の塾に行っていたわけでもないので、中学生時代は毎朝NHKのラジオ講座を聞いたり、意味がわかろうとわかるまいと常にFEN(現AFN。米軍放送網)を流したりして、英語に接する生活を送っていました。
—ホストファミリーについて教えてください
血はつながっていませんが、本当の親族のようにつきあっています。頻繁に会いにいくことはできませんが、会えたときにはそれまでの会えなかった時間があたかもなかったかのように接することができ、非常にありがたい存在です。
私には小さな子供がいますが、彼らにも同じように他の国に親族をつくるような経験、あるいは人生の宝として親族をつくるという経験をさせてあげたいと思うようになりました。また、彼らの子供たちが日本に来たときにはホストできたらと思います。
—AFS体験は、その後どのように生きていますか?
留学して最初の中間試験まではとてもハードルが高かったですね。日本よりもはるかに宿題が多いうえに、単語を全て調べてから問題を解いていたので、とても時間がかかっていました。私はそれを真面目に一生懸命こなそうとしていたのですが、あるときホストファミリーのお母さんから「勉強机に座っている時間は、日本でもアメリカでも同じ。あなたは何をしにアメリカに来たのか。優先順位をつけて、優先順位が高いものができたら、それよりも低いものができなくても、優先順位が高いものができたことを喜ぶべきだ」と言われました。
そのときに“プライオリティ(優先順位)”という言葉を初めて知りました。時間も能力も限られている中で、目標に一番短い距離でいくにはどうしたらいいか、ここで学んだことはそれ以降の私の行動の基礎となっています。
AFS体験は、その後どのように生きているか (動画メッセージ)
—AFSならではの魅力は何だと思いますか?
1年の留学を終えて帰国する際に、当時のAFSアメリカの事務局長が「違いがあることをありのまま受け入れて、なおかつ世界中の問題や課題を、違った人々とどう解決していくか、その課題を一生かけてやっていくためにこの1年があったのです」というお話をされ、大変感銘を受けた記憶があります。
AFSは世界中の人を集めてきて、そこで交流させるというところが、いわゆるバイラテラルな(2国間の)留学組織と一番大きく違うところかもしれません。
例えば、留学中の友人にアフリカーナーの女性がいたのですが、まもなくアパルトヘイトの問題が起きたとき、その話が他人事でなく聞こえてきました。
アメリカにいながらにして世界中の友人ができたことで、ニュースなどでその国の名前がでてくると、非常に身近に感じ、非常に注意をもって、今何がおきているか考えるようになったことは、1年の留学を終えて私の中に起こった変化ですね。
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