宍戸洋平さん (AFS41期生 1994年~1995年)
東京消防庁
奈良工業高等専門学校から東北大学工学部に編入、同大学卒業。総合商社に2年間勤務した後、東京消防庁に入職。2013年より消防博物館の館長を務める。
東京消防庁
消防博物館
—高校で留学したきっかけを教えてください。
私は高等専門学校(高専)に在籍しており、ゆくゆくはエンジニアになりたいという希望を持っていました。その一方で、技術系の人間は視野が狭いという意見を耳にすることも多かったので、広い視野をもちたいと思い、海外留学を考えるようになりました。
そのときに、英語の先生からAFSのプログラムを紹介してもらったことがきっかけです。
—ボリビアは第一希望で選ばれたのでしょうか。
はい、第一希望で選びました。当時既に英語を使えるのはスタンダードと思われているところもありましたので、英語ではなく別の言語を選ぼうと思ったことがひとつ。
さらに、AFSは異文化交流を目的とした留学ということで、どうせなら日本とは全く違う文化圏で、人々の気質も違うような国に行きたいと思いました。
—実際に行ってみて、いかがでしたか。
それまで海外経験がなく、飛行機に乗ることさえ初めてでしたので、丸2日かけて現地にたどり着いたときには、随分遠くまで来たなぁとしみじみ感じました。
ボリビアは都市部の標高が高いことで有名で、ラパスなどは富士山と同じぐらいの標高にありますが、私が住んでいたのはトリニダという、ブラジル国境寄りの、ジャングルを開発したような町でした。舗装されている道路も少なく、まさに”途上国”という趣があり、青年海外協力隊の方が駐在していたほどです。
実はボリビアを選んだ理由のひとつに山が好きだということもあったので、本当は高地に行きたかったのですが、蓋を開けてみたらアマゾン川上流の地域への配属ということで、若干期待と違うスタートではありました。ただ、高校生なので適応するのも早かったですし、今となっては貴重な経験だったと思います。
—留学中の印象的だった出来事を教えてください。
ボリビアでは、現地の同級生などから「○○さんって知ってる?」と日本人の名前を尋ねられることがよくありました。その人は何をした人かと聞くと、この町に病院をつくってくれた人だと言うんですね。
私自身は現地に行くまでボリビアのことを全然知らなかったのに、ボリビアから見える日本には、これまでにボリビアのために尽力した人が映っている―
このような体験は、自分が日本人であること、そして外から日本がどう見えているのかを見直すきっかけになりました。
日本に関係することでは、もうひとつ面白い体験をしました。南米は過去に日本から多くの人が移住したという歴史的な経緯がありますが、あるときご縁があって、沖縄から移住した方たちが暮らす町を訪ねたことがありました。そこで私は初めて五右衛門風呂に入って、ボリビアに居ながらにして何十年も前の日本文化を体験するという不思議な経験をさせてもらいました。
—ネットも普及していない時代ですしね。日本との連絡はどうされていましたか。
AFSのオリエンテーションでは里心がついてはいけないということもあって、なるべく手紙でやりとりしなさいと言われましたよね。私もその考えに賛同していましたので、極力電話はしないと心に決めて旅立ちました。
しかしいざ到着すると、ホストファミリーが電話会社の社長さんのお宅で、開口一番「いつでも電話、好きなときに使っていいぞ」と言われまして(笑)
好意はありがたいけれど最初と最後だけ使わせてもらうから、と丁重に断りましたが、ホストファーザーは少し残念そうにしていましたね。
—帰国後は、どのような道に進もうと思われましたか。
大学は工学部を卒業しましたが、海外での経験を活かして仕事をしたい、日本のためになる大きな仕事をしたいという思いから、新卒で総合商社に入社しました。非常にいい会社でしたので、そのまま続けるという道ももちろんあったのですが、一方で社会に貢献できる仕事をしたい、民間ではなく公的な組織で働きたいという気持ちが次第に膨らんでいきました。
私がボリビアから戻ってきた95年は、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件と、日本の中で大きな災害や事件が続いた年だったと思います。ボランティア元年とも呼ばれたこの年は、各地から支援に駆けつける人々の姿も話題になりましたが、そのような状況の中で自分は何もできなかった、行動に移すことができなかったという悔いが、どこかでずっと引っかかっていたのかもしれません。
そして、年齢や体力的なことも考えて2年で退職し、現在の職場である東京消防庁に入職しました。
—AFSの経験は今の仕事にはどのように活きていると思いますか。
国際交流、異文化交流というと、どうしても海外での仕事をイメージされる方が多いと思います。しかし私がAFSの留学で一番身になったと思うのは「相手の立場に立ってものを考える」という「習慣」です。
東京消防庁というのは、1300万人の都民を相手にする仕事です。私もこれまでに様々な現場に行きましたけれど、本当に色々な人がいて、同じ日本人であっても、バックグラウンドや立ち位置が違えば考え方が違うのだということを実感する日々です。
—日本人同士なら同じというわけではないですよね。
はい。さらに言うと、同じ言語でも立ち位置が違う人は、使う言葉が違います。私も消防の仕事の中で、例えば空港分署に勤めていたときは、国土交通省、航空会社など、様々な組織とのやりとりがありましたが、組織が違えばカルチャーが違いますし、同じ単語でも前提となっているバックグラウンドが違うことは日常茶飯事でした。
ですから、どれだけ相手の側にたって考えられるかはとても重要で、それによって仕事の質は大きく変わってくると思います。
留学をすると外国語を使う仕事に就かなければと、逆に選択を狭められてしまう側面があると思います。しかし、決してそうではありません。
高校生から見ると、消防と海外は関係ない仕事じゃないかと思われるかもしれませんが、私の中では留学の経験とつながっている、経験が活きているなということを、日々実感しています。
—AFSも救護ドライバーから活動が始まっていますから、実は深い縁もありますよね。
そうでしたね!それは今まで意識していませんでした。
消防というのは、地域住民や国民の生命・身体・財産を守るという共通の目的で、全世界が繋がりあえる仕事です。そういう意味ではグローバルな仕事と言えるかもしれませんね。
—最後に、日本の高校生にメッセージをお願いします。
高校生という、自分の価値観もしっかり固まっていない段階で行くからこそ、得られるものは大きいと思います。その動機は外国語を話せるようになりたいということでいいと思いますが、言語というのはあくまでも相手を理解するための手段ですから、留学後の進路選択においては、言語に捕らわれる必要はないよと伝えたいですね。
少しでも海外留学に関心があるのであれば、ぜひチャレンジして、現地にどっぷり浸かってほしいと思います。
ありがとうございました。
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