留学レポート 本場アメリカで念願のバスケ部
課外活動では、念願のバスケットボール部に入ることができました。本場アメリカでバスケをするのが僕の夢だったので、ついに夢が叶いました。アメリカのバスケはレベルが高く、毎日の練習が辛かったけれど、とても楽しかったです。
課外活動では、念願のバスケットボール部に入ることができました。本場アメリカでバスケをするのが僕の夢だったので、ついに夢が叶いました。アメリカのバスケはレベルが高く、毎日の練習が辛かったけれど、とても楽しかったです。
イタリア人は、感情を全部隠さず出します。正直最初は苦戦しました。濁す言葉とか、柔らかい言葉とかがイタリア語にはなくて、直接グサッとくることもよくあります。でも、その分、日本にある言葉の勘違いのようなものがありません。多分私も今、前より気持ちを表に出しているかもしれません。
私が福島県出身であることを話すと、多くの人が震災や原発について訊ねてきます。相手に自らの体験を交えて、あの時感じた恐怖や不安を話すことによって、画面越しでは伝えきれない沢山の人の想いや、日本の現状を伝えることができています。そういう機会が身近にあること、私は嬉しく思っています。
留学の中で感銘を受けたものの一つに“マレーシア人の多文化主義への姿勢”があります。 マレーシアはマレー人だけでなく中国人やインド人も多く暮らしている他民族国家であり、ほぼ日本人だけで人口構成されている日本とは異なります。そんなマレーシアの人達は、お互いに違った文化や宗教を尊敬、理解し合いながら共に1つの国家を創っています。
私はこの留学中に、いくつものかけがえのない体験をする事が出来ました。特に印象に残っているのは、小さな音楽コンサートでの事です。私が住んでいる村でコンサートが行われ、私は何曲かピアノの演奏を弾くよう頼まれました。
『微笑みの国タイ』と言われているのは知っていましたが、実際に現地の人々に触れるとそのことを改めて実感します。全く知らない屋台のおばちゃんでもあいさつをすれば笑顔で返してくれる。だからこっちも自然と笑顔になる。
今、日本に帰ってきて、日本という国と中国という国の関係性についていろいろ思うことがあります。みなさんもご存知のとおり中国と日本の間には複雑な歴史背景があり、隣国だからこそうまくいってないこともたくさんあります。ただ、中国に行って中国人と生活して思ったことは、多くの問題はお互いの理解不足によって生じているのではないのかということです。
私の留学先・パナマは日本とは何もかも違う国だ。気候も文化も人も言語も日本とは違う国に留学したいというのは私の希望であったが、あまりにも大きな違いに驚きや戸惑いの毎日だった。私の場合、言葉の壁よりも先に異文化という壁が目の前に立ちはだかったように思う。
日本にいた頃は徒に日々を過ごすことも多かったのですが、インドネシアではその生活に慣れた後も1日1日を大切に過ごしていました。それでも、帰る直前になると、あれもこれもやっておけばよかったと後悔したりも。