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帰国生インタビュー 高津尚志さん
AFSの留学生としてケベックに住むことは、日本人である自分とケベックの人たちという関係だけではなく、世界各国から来ているAFSの留学生と関係を築くことでもありました。
AFSの留学生としてケベックに住むことは、日本人である自分とケベックの人たちという関係だけではなく、世界各国から来ているAFSの留学生と関係を築くことでもありました。
なるべく若くて吸収力があるうちに、自分と異なるバックグラウンドをもった人と、数多く接することが大事だと思います。日本の中でも色々な考え方の人と話をすると色々なアイデアが生まれ、新しい解決策が出てきますが、それは国際的な立場のメンバーが集まればなおさらです。
人から言われて調べるのではなく、自分の中で疑問に思ったこと―私は「疑問の芽」と呼んでいるのですが、それに対して自分で水をあげて、土を変えて、ケアをしていると、花が咲きます。花が咲くというのは、自分の中できちんと理解して使える状態になるということですね。
AFSでアメリカに行っていなければ、全く違う仕事を選んでいたでしょうし、全く違う人生を歩んでいたと思います。留学中に他の国の人たちと交流したり、ホストファミリーと1年間過ごしたりする中で、国際的な仕事に就きたいと思うようになりました。
各国の社会で指導的立場に就いている人の中に、AFSの帰国生がかなりたくさんいます。私は記者としてワシントンに計8年駐在して働きましたが、AFSの帰国生のネットワークの大きさを感じる場面が多々ありました。
自分に一番適している職業や分野は何かと考えたときに、このようにAFSで経験したことを外交の世界で生かせればと思いました。10代の多感な時期は吸収するものも多く、自分自身への影響力も大きかったですね。
欧米などでは自己主張をして自分を押し出す力が強いですが、周りにあわせていく力は弱いので、両方併せるとちょうどいいですよね。この力は日本の中で身に着けるのはなかなか難しいですが、海外で国際的に交流していく中では自然と身に付けられると思います。
いま私は国の中でも多数派のマレー系の家族と暮らしています。全員がムスリム、つまりイスラム教徒であるマレー系では6月の終わりから29日間の断食がありました。
私の人生のターニングポイントを5、6つ話すのですが、いつも1つ目のポイントとしてAFSのことを話します。すると、学生や先生方が「私もAFSで留学しました」と声をかけてくださることがあり、繋がっているなと実感します。