留学レポート 目標を持ち続けて、毎日前進!
オーストラリアの家族には本当にお世話になりました。本当の家族のように可愛がってもらい、パパとは友達のように毎日毎日爆笑しながらふざけて遊びました。そして二人してママによく怒られていました。喧嘩することもありましたが、二人とも本当にいつまでも私の家族です。
オーストラリアの家族には本当にお世話になりました。本当の家族のように可愛がってもらい、パパとは友達のように毎日毎日爆笑しながらふざけて遊びました。そして二人してママによく怒られていました。喧嘩することもありましたが、二人とも本当にいつまでも私の家族です。
始まりがあれば必ず終わりがあります。日本でのお別れだと、また会えると思えるのですが、外国だと簡単には会えません。 ここにいる全員ともう一度会うというのは不可能なのではないかと思うと、涙がとまりませんでした。
みちのく応援奨学生として、オーストラリアのタスマニア州に留学していました。 この10ヶ月間は、自分探しの留学であったとともに、東日本大震災について外国の観点から考え、またより多くの人に知ってもらうための留学でもありました。
私のホストシスターは、とても感情が表にでる人です。そのことに気がつくまで、何度も落ち込みました。会話が聞き取れなかった時に「What?」と聞くと、怪訝そうな怖い顔をします。悲しくなって、質問があっても黙っていた時もありました。
留学してから自分について、文化について、言葉について考える時間がたくさんありました。私はオーストラリアが大好きです。 家族みんなで晩ご飯を食べて夜はコメディを見ながら笑って一日あったことを話す、うまく言葉では言えませんがオーストラリアは本当にあたたかい国です。
Aussie英語は国の歴史背景から訛やスラングが強く、個性があふれていてとても興味深いです。英語はもちろん、タスマニアには様々な文化の違い、自然の素晴らしさなど日本にいては想像できない、新鮮なものがそこら中に転がっています。
オーストラリアで出会って、友達になってくれた100人のサインを集めたノートのそれぞれのサインの下に写真を貼って、その人を忘れないようにします。このノートは、私の最高の留学の思い出でもあり、私の一生の宝物になると思います。
僕は英語力だけでなく、性格も変わったと思う。 出発前、僕はとてもシャイな人間だった。オーストラリアに来て、学校に行き始めたとき、僕はある先生から全校生徒の前でスピーチをしてほしいと言われた。
私が留学をすることに決めた大きな理由も、もっとたくさんの人に出会って、友達になることでお互いの知らないことや、文化、異なった生き方、考え方を共有し、そのことによって自分の文化を広め、さらに新しい自分を知ることができると思ったからです。