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元留学生 黄くんが里帰り(長崎支部)
2012年に香港から来日し、長崎県に滞在した春組年間生の黄希信(コウ キシン)君が、帰国してから2年後のこの春、ご家族と一緒にお里帰りをしてくれました。
2012年に香港から来日し、長崎県に滞在した春組年間生の黄希信(コウ キシン)君が、帰国してから2年後のこの春、ご家族と一緒にお里帰りをしてくれました。
正直な話、現地での生活が始まった当初の私には「異文化交流」という言葉の意味が理解しきれていませんでした。 国際的な英語がなぜマレー語より使われないのだ?なぜみんなマレー語で話せと言ってくるのだ?
友情に肌の色なんて関係ない。本当にありがとう、ヨースケ。 ドイツからの派遣生の女の子が帰国間際に私に言ってくれた一言です。
言葉や、文化、習慣など何もわからず飛び込んだベルギーでの生活。最初は自分も大変だったけれど、受け入れてくれたホストファミリーにもいろいろな面でずいぶん苦労をかけたなと思います。
中国と日本は近いから似ている部分が多いと思うかもしれません。しかし、似ているように見えるからこそ違いが見えにくく、そこには大きな違いがあります。中国は知れば知るほど面白みのある国だと私は思います。
日本でとても忙しかったため、向こうでの生活は毎日が休日である感覚であった。なぜこれが素晴らしいかというと、このゆったりした生活は自分の将来を考える時間をくれたのだ。日本でとても忙しい日々を過ごしていたので、そんな事は全く考えられなかった。
学んだことは、前を向き続けること。私が初めにいた状況は決して留学生にとって恵まれていたとはいえませんでしたが、執念強く希望を持ち続け、一度も落ち込まずに乗り切ることが出来ました。
帰国前に、イタリアやタイ、レバノン、アルゼンチン、パキスタン…あらゆる国から来た留学生たちと星空の下で語り合ったことがあった。 誰かが言った。 「世界中の全ての人が留学できたら、きっと戦争なんて無くなる」
いま私は国の中でも多数派のマレー系の家族と暮らしています。全員がムスリム、つまりイスラム教徒であるマレー系では6月の終わりから29日間の断食がありました。