留学レポート ベルギーに留学して
ベルギーに来て大変だったのは、学校に慣れることでした。日本では一日6時間授業が一般的で私の学校もそうでした。その6時間でも少しきついと感じていましたが、ベルギーでは水曜日を除いた4日間は一日8時間も授業があります。
ベルギーに来て大変だったのは、学校に慣れることでした。日本では一日6時間授業が一般的で私の学校もそうでした。その6時間でも少しきついと感じていましたが、ベルギーでは水曜日を除いた4日間は一日8時間も授業があります。
学校初日の10月1日、この日は私の18歳の誕生日でした。朝会で緊張しながら全校生徒の前での自己紹介を終え、自分のクラスに入った瞬間、クラスメイト達がバースデーソングを歌い、バースデーケーキと一緒に誕生日をお祝いしてくれ、忘れられない1日となりました。
私は今、スウェーデンの一番南の県、スコーネに住んでいる。ここは昔デンマーク領だったこともあり、地形や言語などデンマークに似ている部分が多い。私も今はほかの県から来た人がびっくりするくらいたくさん方言を話している。
チリには「兄弟・姉妹」とお互いを呼び合う関係がある。血のつながった兄弟の事ではない。仲のいい友達同士がそう呼び合うのだ。 僕が他の誰よりもすばらしい毎日を過ごせたと自負できるのは、僕の「兄弟」たちのおかげだ。
"everyday something"をモットーにして、サイクリングをしたり、年下のホストシスター、ブラザーと雪遊びをしたり、アイスホッケーの試合を観戦しに行ったり、図書館で現地語の小説を借りて読んでみたり、この地方に多い独特の宗教に興味を持って調べてみたりと、日々いろいろな活動をして、充実した毎日を送っている。
私が、メキシコへの派遣を希望した理由は、ラテン国に憧れを抱いたことと、行くならば、旅行ではいけないような国にしようと思ったこと、そして、スペイン語圏であったことです。私は将来、世界中で活動ができる通訳になりたいです。そのためには、英語だけでなく、第ニ言語も話せないといけないと思い、是非、高校生のうちに勉強しておきたいなと思いました。
自らがマレーシアの文化や習慣に飛び込めば、自分の感性がマレーシア人化するのに、1年もかからなかった。僕自身これをとても誇りに思う。マレーシアを心の底から楽しみ、何でも吸収し、体現し続けた結果だから。
パナマは日本のような先進国ではない。生活格差やインフラストラクチャーの未整備などの問題があるのが現実だ。水道や電気が止まることもあった。物や生活水準の観点からは決して恵まれているとはいえない。しかし、私の目にはそこに住む人々が幸せに暮らしているように写った。
海外にきて初めて日本との違いを発見することもできる。まず、アメリカの家庭では親と子供たちの距離が日本よりも近く、一日の中での会話の時間が長いように感じる。なぜならアメリカでの仕事の終了時間が日本よりも2、3時間早いからだ。