留学レポート パラグアイに、びびっときた
パラグアイには私のクラスメイトや家族のように大きな家に住み、服をいっぱい買って指輪やブレスレットでおしゃれを楽しむ子がいれば、裸足でバスに乗り込み、マリア様の印刷されたカードを売る子がいます。
パラグアイには私のクラスメイトや家族のように大きな家に住み、服をいっぱい買って指輪やブレスレットでおしゃれを楽しむ子がいれば、裸足でバスに乗り込み、マリア様の印刷されたカードを売る子がいます。
一期一会・何が起こるか分からないのも、留学の魅力のひとつだと思います。私がこれから留学する皆さんに伝えたいことは、何も学ばない留学は無いということです。楽しいこと、嬉しいこと、苦しいこと、辛いこと・・・どんな経験からも得るものは必ずあります。
みなさんは、”マイペンライ”という言葉を聞いたことがありますか?タイ文字ではไม่เป็นไรと表記し、”問題ないよ、大丈夫”というような意味で、難しいことや小さなことは考えず気楽にいこう!というまさにタイ人を象徴する言葉です。
私の1年は、今までの人生の中で1番濃い年だったのではないだろうか。ベルギーは私にとって謎の多い未知の場所では無く、帰る場所、第2の故郷となったのである。
Terima kasih. インドネシア語で、ありがとうと言いたいときに使われる言葉です。しかし、意味は日本語のそれとは大きく異なります。受け取り、渡すという意味です。なぜこのような意味なのでしょうか。
私が気づいたアメリカと日本の違いは、食べ物です。留学に行く前からアメリカの食べ物が大きいことは知っていましたが、予想していたより大きかったので、さらに驚きました。
1番驚いたのはクラブの形式が全く違うことです。クラブは1年を通してずっとやるのではなく全てシーズンがあり夏のスポーツは野球、サッカー、冬は水泳、バスケというように1年を通していろいろな経験をすることができます。
捕鯨問題は、日本人である私が、他国と違う日本の文化を否定されて、あれ、異文化理解って何だろう?と思ったケースでした。実際に当事者に置かれた私が感じたのは、異文化の理解・尊重、そして共存は実は奥が深く容易ではない、ということです。
渡航前に想像していたきらびやかな毎日などという幻想はこちらに来てすぐに崩れた。留学は実生活であり、過酷なのだ。それでもこの選択を悔いたことは一度もない。15歳で親元を離れ新しい環境で一年を過ごすことは、幾重にも成長する絶好の機会である。