熊本で、AFS留学生が3人集まるというので、「元水俣保健所長と行く~水俣芦北で環境問題を考えるツアー」に行ってきました。

事前に、水俣病のことを少し説明し、「良かったらジョニー・デップのMINAMATAの映画を観てね」と言っておきましたが、水俣行きの前日、我が家に集まった3人は何かの動画を見て笑っていて、MINAMATAにはあまり関心はなさそうでした。

当日は、芦北町で高速を降り、海浜公園のゴーカートで遊んでから、近海でとれるシーフード(足赤エビは絶品!)がおいしいレストランでランチをしました。芦北から水俣へ、海沿いの「オレンジロード(この地域は「でこぽん」が名産)」を南下し、丘の上の旧赤崎小学校を見下ろす展望所から穏やかで非常に美しい不知火海を見てもらい「この美しさを覚えておいてね」と言いました。ちょうど桜が見ごろで、オレンジロードから続くチェリーラインでは、桜のトンネルと不知火海のコントラストを楽しむことができました。桜のトンネルの途中で、水俣病の患者さんたちの療養施設である明水園を通りました。

チェリーラインを降りてすぐ、水俣川口の橋を渡ったところに、水俣保健所があります。1956年5月1日、病院から水俣保健所に原因不明の脳症状を有する患者の発生報告があったこの日が、水俣病の公式確認の日となっています。水俣保健所では、今でも保健師が患者さんの家を訪問したりしています。この歴史的な保健所に立ち寄り、水俣病の原因企業となった旧チッソ水俣工場の周辺を通って、エコパーク内の水俣病資料館を訪れました。我々だけでなく、ドイツ人の団体やイタリア人など多くの外国人が資料館を訪れていました。

敗戦後、貧しかった日本が経済発展を優先して環境問題を軽視していたこと、水俣病の原因となった企業が水俣市の発展に寄与したという事実、水俣病患者の苦痛、水俣病問題が発生してからそれまで平和に助け合って暮らしていた市民が分断してしまったこと(患者とその家族、企業従事者とその家族、患者支援者とその家族など)、などを私のつたない英語で説明したつもりですが、どこまで理解してもらえたか、わかりません。でも、私が思っていたよりも、資料館の展示など熱心に見てくれていたように思います。資料館を出てから、エコパーク内を歩いて慰霊の鐘、かつて汚染された工業用水が排出されていた百間排水口跡まで行きました。私たちが歩いてきたところは、すべて埋立地であり、私たちの足元には今でもメチル水銀で汚染された魚や泥が埋まっているということに、彼女たちは驚きを示していました。

最後はエコパーク名物ローズソフトクリームを食べて、帰路につきました。現在の、穏やかで、美しく、豊饒な不知火海を眺めながら。彼女たちは何を感じたでしょう。高校生には、資料館よりゴーカートの方が楽しかったかもしれませんが、せっかく日本に、熊本に来たからには、異文化体験だけでなく何か学んで帰って欲しいなと思って今回のツアーを企画しました。映画MINAMATAも、(賛否両論ある映画ですが)観てほしいですね。

(ホストファミリー、Yさん)


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